弾き語りの旅で繋がった人たちに、東京で「おかえり!」っていう場所ができた


「お国はどちらですか? ハーフですか?」

私と話すときの第一声、相手からの質問はだいたいこちら。

必ず「岩手(盛岡)と、富山(高岡)の、ハーフです!」

と、答える。

「えー!!!」

とみんな笑ってくれて、そこから会話が始まる。

とはいえ、私は東京生まれ、東京育ちなので岩手と富山には子供の頃に親に連れられて行った程度だ。

大人になってからは親戚との縁も薄く、みんなが「今年も帰省できない」なんて言っているのを聞くと、帰省する場所が東京以外にあること、親戚一同がごったがえす盆正月の光景が少し羨ましかったりした。

現在、ミュージシャンとして生活をしている。

勤めていたIT企業を離れ、子供の頃からやっていたわけでもない作曲を学びに、急にJAZZをベースとした米国ボストンの音楽学校に留学し、震災後に帰国。

絶対無理だと周りじゅうから止められていたが音楽で生計が立てられるようになった。新しく、ボーカルとピアニストのユニットも結成して活動し始め、今、音楽生活は非常に楽しく、充実している。

2年半ほど前から、ギターの弾き語りで全国も回り始めた。古民家が大好きで、あちこちの古民家や家族経営のカフェに行くとたいてい子供達がいて、サウンドチェック中になついてくれ、年に12回会いに行けることが本当に楽しみだ。

みんなに「東京にも遊びにきて!」というと、「渋谷とかは人が多くて酔っちゃう」「都会は怖い、冷たい」というごもっともなご意見ももらうし、友人のシンガーソングライターたちが「ふるさと」について書いた曲を聴くたびに、東京のこと怖がらずに安心して来てほしい、東京のことも好きになってほしいな

そんなことを思っていた。

もうひとつ、日々思うこと。

お盆やお正月の「大家族」の風景はうちにはなかった。

「家族、家庭を持ちたいな」

と思うことはきっと人として当然(?)の流れなのかな。今のところ結婚していないし、子供を産んではいない。目下のところ近い予定もないのだけれど、でも、もし結婚して(またはせず)、子供を産み(または産まず)、できる私の家族のサイズ感は、私が時折憧れていた「大家族」よりもずいぶん小さいんだろうな。

でもいいの。

私は全国に友達ができているから、みんなを家族みたいに迎え入れたい!

と思ったけれどそんなことを普通に実践するととたんに迷惑をかける。

時はちょうど。

前の家の大家さんにだいぶ苦情を言われてへこんでいた頃。

「賃貸の部屋はあなただけに貸しているんです。音楽事務所じゃないしホテルじゃないので、お友達が泊まることは認められません」って。ごもっともですよ。

でも、私ばっかり、いろんな人のお家やご家族や、お店やライブ会場の人に本当に良くしてもらって、食べさせてもらい、寝る場所を提供してもらい、行くたびに「おかえり!」って言ってもらっている。

私だって、東京でみんなに「いつでもおいで!おかえりっていって待ってるよ!」って言いたいのだ!

そんな時、Ciftに出会った。

わあ

衝撃だった。渋谷キャストには今30人ぐらいがともに暮らし、ともに働く「家族」として生きているんだって。今、54人ぐらいの「家族」なんだって。

シングルマザーの方達もいて、みんなで子供も育ててるんだって。

さらにどんどんお家も増えて、1000人ぐらいまで家族が増えるんだって!!

こんな渋谷のど真ん中で。

楽しくて、3日ぐらい居座ってみたら、目の前でどんどんいろんなコラボが生まれ、育っていくのを目の当たりにした。

19部屋ほどある、それぞれの個室は鍵もかかっていないことが多い(だって家族だし)。子育ての部屋、飲む部屋、合宿部屋、麻雀部屋、弁護士相談所、なんてテーマがあって楽しい。

自分の部屋なのに、ほかの人が入ってくつろいでてもいい..だなんて。

私も、自転車も家も本当は鍵なんてかけたくないなと思ってた。

部屋の鍵だってかけなくてもいいと思ってきた。

ちょっと余談だけど、三軒茶屋に住んでいた4年間、どこにいくにも自転車の鍵をかけなかった。渋谷だろうが新宿だろうが。勝手に「そんな、みんな盗まないよ!」と信じてみたかった。

そして自転車は4回無くなった。でもそのうち3回は戻ってきた。友達が「下北にローラの自転車みたいなのが止めてある」って連絡くれたり。あとの2回は警察から戻ってきた。世田谷警察さんが丁寧に自転車を拭いてくれながら「盗った人は、三茶から乗ってない、池尻に乗り捨ててあったから拝借したっていうんですよ」って言う。

そうか!三茶から池尻まで酔っ払いの誰かがつい「拝借」したんだな、それで「ご自由に」みたいに置いていくからまた酔っ払いが「拝借」してたんだな。たぶん盗んだつもりはない!

循環してるビニール傘みたいなもんだね。シェア自転車してただけかもしれない。ただ、私も自分が使いたい時に自転車乗りたいから、一応鍵をかけるようになった。半分ぐらいは。

Ciftはシェア精神にあふれた家族。

私もそのアイデア大好きだ。家族に入れて欲しいなあでも何が貢献できるんだろう?って言ったら、

「貢献なんていらないんじゃない?」(だって家族だし)。

でも、私、音を出すし(ギター)歌うし、これらはミュート(ボリュームをゼロにする)ことができないもので……。人と暮らすにあたってもっとも迷惑な代表格が「騒音」なわけで…..

と思ったら、

すごいタイミングで、Ciftの唯一の防音室が一部屋、空くらしい。ためしにリハーサルをさせてもらった。これは…楽園だ…。

前に住んでいたミュージシャンも知ってる人だった。

私の過去のルームメイトも、家族だし、全国にいる、私を待ってくれてる人たちも子供たちも家族だなーと思うし、わたしの後ろにはいっぱい家族がいるんだけど、なんか似てる人たちがここにいる。

・大きな家族になる

・いろんなことがシェアできる

・友達がいっぱい遊びにきてもいい

・防音室がある(音楽ができる)

私に必要なものが全部、完璧な形とタイミングで揃ってる。

これはもう、このあいている部屋は私が絶対住むしかないし、絶対面白いクリエイションがたくさん生まれるに違いない

そんな感じが、私がCiftに入る理由!

ただし、私の住むCiftの「防音室付きの部屋」の家賃は、ゆうに前の2.5倍以上である! 前の家賃、8万円くらいだった。どこのセレブですか、絶対無理だ。

敷金礼金的な初期費用だってとんでもない金額で、払える状況でもないくせにここに住む!って大騒ぎした私は、一瞬まわりからは気がどうかしたのかと思われていた。

だけどね、お店をオープンする人とか、起業する人たちって、20代で1000万とかかけるでしょう?数年で先行きうまくいかなくなるかもしれなくても、自分の力にかけるでしょ?
私は、できればこの部屋に2年、居られたらいいなぁと思う。毎月の家賃の今までとの差分と敷金礼金あわせたら…、数百万だけど、人生に何度か、自分にそのくらいかけてみたって、いいんじゃないかなと思ったのです。

きっと1回目は、大好きだったIT企業を辞めて、貯金はたいてボストンのバークリー音大に自分のお金で行ったこと。帰国して、私が音楽で生きていけるなんて誰も思わなかったと思う。
きっとこれは2回目。
うまくいかなかったとしても、その後の人生で贅沢なんて求めていない。ここに住めなくても、Ciftメンバーにはずっとなれるから安心だね。

「大丈夫だよ、僕ら家族だからなんとかなるよ」って、Ciftを作った健介が言った。

「作曲発注するよ」とナオくんが言って、本当にすぐに発注をくれた。

え、どういうこと…..?!おかげで家賃が払えそう。

5/19Cift一周年祭で「家族になることにしちゃった、先行きは不安だけど!」って笑いながら言ったら、Ciftのメンバーじゃない色んな人たちも「ナレーション発注するよ!」「音楽事務所を紹介するよ」と話しかけてくれた。心が満杯になって涙があふれた。

私も誰かが困ったらそんなふうに声をかけられるようになりたい。なる..

目下のところ、どやって家賃払うの? と自分含め私の友達みんなが思ってるし、だいぶ心配されてるんですけど、同時にみんなが「応援してるよ!」って言うのできっと大丈夫なんじゃないかなと思っています。

拡張家族。それぞれが拡張する。

「世界平和をめざしてるんだよ」とCiftの家族たちは言う。

私の書く歌詞には「世界平和なんて言えないけれど」ってセリフがでてきそうだ。世界平和、を唱える前に身近な人たちを幸せにできたらいいな。

でも、

「身近な人たちを幸せにしてったら、世界は平和になるんじゃないの?」

って言われると、

それもそうだな、と思うのだ。

横沢 ローラ