「血が繋がらない家族」のおかげで生き延びてきた 〜旅立ちの前に記すCiftでの時間〜


2017年9月から1年弱参加してきたCiftを、この7月で旅立つことになった。
離れる前に、あらためて、どうして自分がCiftに加わり、11ヶ月の間でどんなことを感じ、なぜ今回旅立つことを決めたのか、簡単にまとめていきたいと思う。

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大学に入学した年の年末、母から電話が入った。
「ママとパパ、しばらく別居することにしたから」
そんな内容だったと思う。

言葉の意味が分からなくてしばらく呆然とした。

今思い返せば、父は仕事で家にいる時間がかなり短かったし、父と母が「仲良し」と言えるような関係性でもなかったと思う。

でも、小さい頃から母の口癖は「家族第一」で、家族を守ること、家族を優先することが、人生で一番大切なことだと教えられ続けてきた。私にとって家以外に居場所だと思う場所はなかったし、その居場所が壊れるなんて想像もしていなかった。

別居の原因は父親側にあったため、母の味方につくようになったものの、鬱状態になった母の感情の上がり下がりは激しく…。「あなたたちを生まなければ、自分には違う人生があったのに」「あなたにはパパの血が流れているから」などと、私にはどうにもしようがないことで責め立てられたり、離婚調停のためにやりたくもないことを手伝ったり、見たくもない母のドロドロとした姿を目の当たりにしなければいけなかった。

当時の私には、家族以外に信頼できる人もほとんどおらず、誰かに相談することできないまま、ある日、すべてが爆発して母と大喧嘩し(何があったか記憶がすっかりなくなっているものの…)、以来7年ほど連絡をとりあっていない。

居場所を失い、拠り所を失って、何のために生きているのか、生き続けなければいけないのか分からなくなり、夜に包丁を取り出して手首に当てていた朧げな記憶もある。

寄せては返す波のように、掴んだと思っても抜け落ち、出来上がったと思っても崩れていく…。人間関係ってそんなものなんじゃないかという想いは、今もぬぐいきれない。

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そんな私がここまで生き続けられたのは、「家族のような存在」に出会えてきたからだ。

大学時代にお互いのライフヒストリーやファミリーヒストリーを共有し合えたゼミの仲間。母の手を手放してしまったことへの後悔や悔しさを、初めて受け止めてくれた、同じような経験をしている”恩人”。国境を越えて、いつも気にかけてくれている海外の友人たち。よりよい社会をつくろうという同じ想いのもと、手と手を携えあってきた”同志”たち。家族の問題から解き放たれたくてファミリーネームを「アーヤ」に変えても、何も変わらず接し続けてくれた友人たち…。

特に、福岡で初めて暮らしたシェアハウスのメンバーは、日常から非日常まで、様々な記憶をともにし、元気な時もそうでない時も、そのままの自分を晒し、言葉で伝え合わずとも、お互いに見守り見守られる…そんな関係を育めた。「血が繋がっていなくても、家族のような存在になれるんだ」と強く思えた。

福岡のシェアハウスのメンバーと近郊へドライブツアーに行った際の写真。今ではそれぞれに環境も関係性も変化して行っているが、それでも私にとって大事なことを教えてもらった大切な「家族」だ。

 

血を越えた家族。それが私が今日まで生きてこられた一番の理由。だから、Ciftの「拡張家族」というコンセプトを聞いた時、自分が生きていく支えがさらに増えるとしたら…しかもその「家族になっていくプロセス」を社会実験的にみんなで模索できるとしたら、すごく貴重な機会になるはず!そう思って、Ciftに飛び込むことを決めた。

とはいえ、渋谷ど真ん中の新築物件で、自分で家賃を賄うのは困難だったため、当時勤めていたカフェ・カンパニー株式会社にサポートをしてもらった。同社は主にカフェや飲食店を経営している会社だが、「Cafe = Community Access for Everyone」という考えで経営していて、形にとらわれることなく様々な「コミュニティ」をつくっていっている会社だ。Ciftが目指す「拡張家族」もまた新しいコミュニティの在り方のため、そこで暮らしながら、新たなビジネスのヒントを探りたい…。そんな想いを社長に伝えた結果、応援をしてくれたことを、今も心から感謝している。

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こうして2017年9月。3年間ともに暮らしてきた、掛け替えのない「お姉ちゃん」のようなシェアメイトのもとを離れて、Ciftに入居した。彼女と物理的に離れても「家族」であり続けられるのかという点も、私にとっては一つの挑戦だった。

それから11ヶ月、当時の自分は想像もしていなかったことの連続ばかりだったが、それについては次回以降、記していきたいと思う。