リトリートの中で、私はあるチャレンジをした。それは、『亡くなった母と対話』すること。
思えば私はいつも「自分を受け入れる」「自分を愛する」ということがわからずにいた。
それは、既存の家族の形がどうもしっくりこなかったことが原因だと思う。Ciftに興味を持った理由のひとつは、自分にフィットする家族の形を探す実験がしてみたかったからだ。それはきっと最先端かつ前近代的な形をしているはず…!などと思っていた。
今までのCiftは『自己変容』するための修業の場として開かれていた。私のような『自己受容』する前の人間に『自己変容』はなかなかハードな課題だった。いつもグラウンディングができていないというか、足元がふらついていた。
正直なところ『自己変容』しようにも、頭の中がいつも忙しく、良かれと思ってやったことが空回りしたり、相手を傷つけたり、自分も傷ついたりすることが多々あった。
そんな私にとって、テーマとして『自己受容』があがったのはとてもラッキーなことだった。我ながらやる気満々だったと思う。
明治や大正を思わせる重厚感のある建物の中、香を焚き、細く天に向かう煙を眺める。
目を閉じて、メンバーと対話を重ねる。
夜が深まる。
ハートから言葉を発すると、場が動く感じがする。
自分の内面の話をする。ただの嘆きにならないように、慎重に言葉を選ぶ。
自分の生まれの話をする。
自分の心の奥深いところに段々潜っていく。
例えるなら、夜の海面に、大きな暗い穴が空いているのを見つけた感じ。強い風が吹いていて、誰の声も聞こえないし、私の声も誰にも届かない。
その穴(ホール)の奥深くに、私がこのリトリートに探しに来たものがあるような気がした。
一段階深い意識下で、人はみな繋がっているらしい。『死者との対話』を行うなら、そのホールの中に飛び込まなくてはならない。
恐怖を感じる。足がすくんでホールに飛び込めない。
現実には目を閉じている私を、メンバーがハグしてくれる。他のメンバーも温かく見守ってくれているに違いない。
誰の声も聞こえないはずなのに、ザワザワ、ニヤニヤ、誰かが私のことを嘲笑っている感覚があった。
「洗脳されるぞ」「スピっぽくない?」「マジでやってんの?」現実に引き戻そうと、深い没入を邪魔するのは、ちょっと過剰気味の私の自意識だったと思う。それらは要は、「戻れなくなるからやめておけ」と言っていた。私は、メンバーのハグを拒否して、海面のホールにダイブするのをやめようか一瞬迷った。
このとき、今まで読んできた本の作家たちが助けてくれた。人は自分のコンフォートゾーンを越えるときに、強い不快感を感じるらしいと、私は何かの本で読んで知っていた。それが今だとそのとき思った。
そのとき強くハグしてくれているメンバーと、周りで私を見ているメンバーの気配を思い出した。何か言いながら抱きしめてくれている。遠くなってしまってもう聞こえないけれど、「大丈夫」って言ってくれていた。たぶん。私もこのメンバーなら「大丈夫」と思った。
最後は、
「自分で飛び込むって決めて、ここまで来たんだろ、行っちゃえー!!」
と思って、強く踏み込んだ。
暗く深いホールに没入するのはとても気持ちよかった。何かが外れる、壊れる、溶けていく感覚があった。
気づいたら、ハグしてくれているメンバーは完全に亡くなった私の母になっていた。私は母を感じることができた。私はこれが最後になるかもしれないと思って、母に伝える言葉を探し、ハグし返した。
ずっと強い風が吹いていてなかなか言葉が届かなかったけれど、伝えられたし、伝わったと思う。
しばらく現実に戻って来れなかった。深いところからすうーっと戻ってきて、はっとする。
メンバーがみんな私のことを見ている。ちょっと戸惑いの混じった、温かい目線を、時間が過ぎた今でも良く覚えている。
涙でぐちゃぐちゃになった私に、「乗り越えた感が伝わった」「いい方向に行けたんなら良かった」とメンバーが声をかけてくれる。
傍から見たら、何が起きていたのか頭では解らなかったはずだけど、そう言ってくれたってことはハートに何か伝わるものがあったのかしら…?
ちょっと非常識なチャレンジをするとき、「大丈夫」と言ってくれる『家族』がいること、安心感って凄い。強く踏み込めるんだな、と気付きを得たリトリートだった。
ようやく私も少しだけ、『自己受容』『自己変容』できたのかもしれない。
最後に、私は生活の中で「恥ずかしい」「嘲笑われている」と感じて行動できなかったり、自虐してしまうことが多いのだけど、その不快感は、裏を返せば自分のコンフォートゾーンを越えそうなサインだということだと気付いた。全部とは言わないけれど、意外とその不快感を積極的に越えていっても気持ちいいかもしれない。リトリートから日常に戻ったら、社会人生活は不快感の嵐。せっかくなので、積極的に飛び越えてみようと思う。