何かを手放すと、余白が生まれて、新しい風が吹いてくる。


もう10年以上前。
16歳だったわたしは、ベトナムのスラム街を歩いていた。

ほこりっぽい路地を歩いていると、野犬が横を通り過ぎてく。
道端で、赤ちゃんを抱いた小さな男の子が、こっちをじっと見つめている。

マイクを向けて、インタビューをさせてもらうと、その子は、カンボジアから来て、物乞いをしているところだという。

当時、「国境なき子どもたち」というNGOは、日本の子どもたちを、レポーターとして派遣するというプログラムを行っていて、わたしは、約2週間、ベトナムのストリートチルドレンの子どもたちを取材していた。

あのとき出会った赤ちゃんは、あの男の子は、どこかで、すこやかに生きているのかな。今でも、ふと思い出す。

たくさんの現地の子どもたちにインタビューをして、そのときのことを映像で伝えたり、メディアで伝えたりしたけれど、日本に帰ったとたん、普通の高校生活にもどって、世界を変えることなんて何もできなかった。

世界を変えることはできない。
でも、自分の足元から変えていくことはできるかもしれない。

そのときの思いが、Ciftにつながっている気がする。

今、東京と三重、ときどき長野を行き来しながら、
フリーランスで編集の仕事をしたり、文章を書く仕事をしたりしている。

2年前までは、東京の出版社で、会社員として、本の編集の仕事をしていた。当時の自分は、今の暮らし方も、働き方も、まったく想像もしていなかった。

今だって、たぶん、変化の途中にあって、もう変化し続けていくことこそ、安定なんじゃないかって思っている。

何かを手放すと、余白が生まれて、そこには新しい風がちゃんと吹いてくる。

Ciftに出会った1年前は、とてもつらい時期で、嵐のような出来事に次々と巻き込まれて、人に対する信頼を失って、自分をとりまく世界のことも嫌いになりそうだった。

でも、もう1度だけ、世界を信じてみようと、そういう気持ちで、Ciftに入ることにした。

Ciftが動き出し、かたちができていくのと重なるようにして、自分の状況も、自分自身もめまぐるしく変わりはじめている。

世界は変わらないと絶望するんじゃなくて、自分自身が変化になれますように。
自分のことも、まわりの人たちも大切にして、この世界を愛していくことができますように。

そんな生き方の実験が、だんだん楽しくなってきた。

鈴木まり子