Ciftという拡張家族への挑戦


「家族」ってなんだろう。

仮に、この「家族」を『「血縁」という前提をもとに無作為に集められた他人同士の集まり』と定義するとしたら、この血縁というものを果たしてちゃんと調べたことがある人はどのくらいいるだろう。

もちろんDNAを調べればすぐに他人かどうかはわかる。だけれども、お母さんと私が本当に血縁のある家族かどうかを調べるタイミングはそうそうないものである。とすると、血縁があるかどうかはそんなに大したことではないように思えてくる。

それよりも、同じ空間の中で一緒に経験したこと、一緒に育んだこと、泣いたり笑ったり、共に生きた時間の方が血縁なんかよりも何百万倍も重要な気がする。

つまり、同じ空間で時間を共有し、生活することで、誰でも家族になり得る。けれども、言葉で言うのはとても簡単だが、それはきっと容易ではないことなのかもしれない。他人との関わり合いの中で自分とは相容れない価値観もあるだろう。例えばドアを閉める音や、例えばお皿を戻す場所や、例えば廊下に響く笑い声や、そんな些細なひとつひとつが気に触るようなこともあるかもしれない。

でも、それはだれかが生活している音であり、気配であり、命の痕跡であること。誰だって自分の思い通りに生きたい。自分1人で生活すれば、だれにも邪魔をされずに済む。でも、思い通りにならなさを感じながら、それでも家族と生きたいと思うのは、ひとつ屋根の下で誰かが生きているということを感じて嬉しく思うことや、誰かの痕跡をみて愛しく思うことが私の人生を豊かにし、幸せを増幅していってくれるということを知っているから。

美味しいものは誰かと食べたい。今日あったことを共有したい。感動を伝えたい。面白かったら笑い合いたい。感情をむき出しにして喧嘩することもあるかもしれない。だれかを傷つけたかもしれないと反省することも。

けれどもそれらは全て振動を続ける愛の形。

そんな素晴らしい愛の挑戦を、渋谷のど真ん中で実現できたらとても嬉しいなと思います。