役に立たない、価値を提供しない。ただの「家族」として一緒にいるということ。


人生、それなりにいろんなことを経験し
その分、たいがいのことは受け入れて、
自分もおだやかで幸せでいる、ということが
できるようになってきました。ようやっと。

でも、それができるようになるにつれ、
年々、実は、どんどん怖くなってきたことがあります。

役に立たない、価値を提供しない、
というただの自分でいること。
自分が何も返せないけれど
ただ人に甘えたり頼ったりすること。

人に対しても場に対しても
自分が価値を提供していないと、
自分の存在に意味がないような気がしてしまう。
そしてつい、Giveしてしまう。
もしくは、自分をできる限り透明にしていく。
不安だから。

この怖さ、不安が、
家族との向き合い方にも
影響を与えています。
出身の家族に対しても、
夫と娘(1歳)の自分の家族に対しても、
ただの自分でいるということが
どうもできない。

こうした人との絶妙な距離感、
自分の妙な透明感がゆえに
できることもあったり、
しかもそれが社会の中では強みになっていることもあり、
つい最近まで、私はそれでいいんだ、と思ってました。

でも、Ciftに出会い、
心の底がぶるっとしました。
挑戦してみたい。

Giveしなくとも、透明なバリアの中に自分を閉ざさなくとも
ただの「家族」として一緒にいる。
それがきっと
自分の家族を含めた日々の人との関係も
自分自身も、世界との関係も、
変えていくことになる。

これを書きながらも、
これからのことを思うと
ぶるぶるしていますが、
どうぞみなさま、よろしくお願いします。

山崎 繭加

(2018.07.21)