『なるほどーーー。対話とは、意識でつながるとは、こういうことか。』
それまで、私にとって人に共感することは疲れることで、何なら、対価が発生する労働だと思っていた。
でも、それはこの日、あたらよの夜の対話を経てガラリと姿を変えた。
「さとさおが対話の経験がないから、今夜、家族対話をしよう。」
そう提案してくれた健介さんのファシリテートで、家族対話をすることになった。元カイコ農家の古民家の囲炉裏に、火のついた炭がくべられる。みんなが黙ると、恐ろしいほど静か。ティンシャの細長い音が鳴った後、空気が締まった気がした。短い瞑想とともに、家族対話が始まった。
アンジュちゃんの言葉を皮切りに皆が順番に話していく。何周か巡った頃、ダイさんが言った。
「ところで、この悲しみ、どうする?」
ダイさんのその日の言葉は、ため息と一緒に絶望の奥深くから湧き上がってきた気がした。
そして、その言葉は囲炉裏を囲んでいた私達8人に伝播した。
背中に冷えた鉄を入れられたような嫌な感じ、たくさんの応援してくれる人の期待に応えられなかった不甲斐なさ、悔しさ、終わらない残務のストレス、怒り、何者にもなれない自分への焦り、笑い飛ばそうとするときの葛藤ーーー。私の中で、そんな気持ちが自分の感情として湧き上がり、自然と涙が流れた。
信頼できる仲間の前とはいえ、自身の悲しみや弱さを言葉にすることはとてもハードなことだということ。強さ、勇気が必要だということ。これらはダイさんの気持ちだったけど、その時、私にも確かに自分の気持ちとして感じられた。
そして対話に臨む8人が、同じ気持ちを共有していることが私はわかった。8人が共にダイさんの悲しみを、自分事として悲しんでいた。
不思議なことに、それはとても温かかった。
それがとても辛い想いとはいえ、同じ気持ちを共有できていることは、ダイさんにとっても、他の7人にとっても、深い癒やしだった。
雑念のない深い共感は、共感する側にも多幸感をもたらすことを、その日、私は初めて知った。
『なるほどーーー。対話とは、意識でつながるとは、こういうことか。』
後には、勇気を持って話してくれたダイさんに感謝の気持ちが残った。
囲炉裏をぐるりと囲んでいた8人の体温と同じ温かさのエネルギーが、その輪の中を飛び交った名残が感じられた。ハートから発した言葉の交換を経て、8人の輪の中にエネルギーの通り道ができていた。
たしかに、世界中の人とこんな繋がり方ができたら、本当に世界は平和になっちゃうかもしれないーーー。
霧の中の花火も、稲刈りの後の体の重さも、金色の稲穂も、満月にかかった虹の輪も、この日の対話と一緒に私はきっと一生覚えている。
