Ciftと出会って「オリジンベースド・アートシンキング」が生まれるまで


半径10キロ圏内で、新しい問いに挑んで初むということは、これだけ自分を丸裸にされる行為で、これだけ愛を受け取れる行為なんだということを体感した一年半だった。

そして、この両方を受け取れたのは、Ciftに入ったからだった。

2018年8月、本拠地をスペイン・バルセロナに置いたままの一時帰国。

日本に帰国するならCiftにどうしても入りたくて、メディアのmember一覧をみる。

その中にいる人の名前をFacebookで検索し、共通の友人が居ないか探した。

これを繰り返す中で、健介さんが渋谷キャストで会ってくれることになった。

今後のチャレンジのベースを、尊敬する建築家ガウディの作った建物たちを身近に感じられる、大好きなバルセロナにして起業に向けてチャレンジし続けるか、帰国するか、とっても迷っている時期だった。

思い切って、人生で初めて長期に渡り海外に住んでみて、感覚が研ぎ澄まされてきて、このまま居たい気持ちと、それまでで負ったダメージとを天秤にかけていた。

私は元々、婚約をして、デンマークへ留学しに行った。

日本との時差をはじめ、夏から冬にかけて日に日に短くなっていく日照時間。

自費留学だったから、納豆は3個700円で大好きなたまごかけ納豆ごはんは贅沢できないし、お風呂は水道光熱費の関係で真冬でも3分のルールだった。

雨風は強いのに、どこにいくにも移動は基本チャリになる。

店は少ないし、だんだん出かける気力はなくなり

ライフポイントはマイナスになり、本当の孤独を知った。

日本のみんなは忙しいかな?なんて考えると、もう誰に頼っていいかがわからずに、自分がどうなってしまうのかわからなくて、涙が止まらなくて、朝まで眠れない日々が続いた。

「あれ?私、世界一幸せな国デンマークに来てるのに、全然幸せじゃないんだけど…」

この不可解な状況に疑問を持ってから、”幸せの定義”ってなんだろう?と考えるようになった。

この幸せの定義を、約30の国と地域の人に聴きまくるというプロジェクトが、アートシンキングの一番最初の原体験だった。

そして、この時期に、遠いデンマークでリサーチをしている中で出会ったが、”Cift”だったのだ。

時はすぎて、2018年12月、私は松濤に入居した。

入居日に、茶室で初めて出会った愛梨と意気投合し、夜中の3時まで話が止まらなかった。

「あぁ…この姉妹みたいな感じ、すごく心地いい…この場所でなら、デンマークで出来なかった、セーフティースペース作りの実験ができる…」

直感は、やっぱり間違って居なかったんだなと思った夜だった。

だけど、やっている事業が新しいこともあり、鳴かず飛ばず。本当に理解してくれる人が、クライアント先や、Ciftという家族の中にも増えいかなかった。

こんなに知っているモノも人もたくさんいる東京で、しかも渋谷という都会のドマンナカで、逆に孤独を感じはじめた。

気づくと、二月には私は何も感情を感じられなくなっていた。

そんな中で出会ったのが、さおたんだった。

同じラルクファンなのは知って居たけど、Cift家族とはいえ、面識はほとんどなく、それまでは、遠い遠い親戚みたいだった。

Ciftのイベントで、さおたんと一緒になった時に、さおたんは私の言っている事をすごく理解してくれて、そのあとすぐにメッセージをした。

それから平本家総出で、私のお悩み相談に乗ってくれて…こうして2月の終わりに始まったのが、「共に働く超集中期間」だった。

最初はカバン持ち的なところで、さおたんの子育て応援車両に関するラジオ収録に付き添ったり、ミーティングで議事録をとったり、というところから始まった。

同時に、私のアートシンキングのワークショップや、講演のチャンスも作ってくれた。

そんな中で、事業を進めるアドバイスにとどまらず、人間性や思考回路みたいなところまで向き合って、メンタリングを続けてくれた。

こんなお姉ちゃんが、血縁家族で欲しかった……!

そして、さおたんが誘ってくれた案件で出会ったのが、オカタクさん、である。

オカタクさんは、Ciftメンバーではない。だけど、Ciftのほとんどの人と知り合いという不思議な立ち位置で、x-Ciftのような感じの人である。

この出会いが、アートシンキングをベースに進める初めての新規事業開発案件につながった。そして、さおたんと、オカタクさんと三人で共に働く実験が始まった。

二人は、実際にアートシンキングがアクションに移るまで向き合ってくれて、人を応援するとは本当はどういう事なのかと、人に応援してもらうことの有難さを、教えてくれた。

二人自身が経営者として、これまでに周囲に、自分が本当にやりたいこととをサポートしてもらったり、逆に他者をサポートしたり、というスタンスで、他人との関係性を構築してきたことがわかってきて、本当に素敵だなと思った。

お互いに、お互いの幸せを願ってサポートしあう。これは”家族的”な大きな愛だなと思った。

ある日、オカタクさんが、「恵美加のアートシンキングは、普通のアートシンキングじゃなくてオリジンベースド・アートシンキングだよ」と、分析とアドバイスをしてくれた。”オリジンベースド・アートシンキング (Origin Based Art Thinking)”が誕生した瞬間だった。

ありがたいことに、こうやって前に進んでいることがわかると応援してくれる人が増えてきて、どんどん機会が広がって行った。

今は、アートシンキングモバイルハウスをクラファンで作って、日本中を美術館にする、というチャレンジをしている。

もちろん、このチャレンジも、さおたんとオカタクさんが、家族のような大きな愛で、並走してくれて、実現した。

2周年を目前にしたこのタイミングで、ひと段落し、振り返ってみて、共に暮らすだけでなく、共に働くという観点からも、私は”家族”が増えたといえるだろう。お互いのやりたい!が実現できるように向き合い、思い合い、どんどん大きくなっていく家族が増えた。

どん底の苦しさから、応援してもらうことの幸せまで全部、全部、味わった3カ月だった。

私なりに家族の増やし方がわかったので、もっと心のセーフティースペースが広がっていくようにどんな風にCiftに貢献できるのか、考えられる2周年になったらいいな。日々運営している家族会議にも活かすためのヒントが見つかるといいなぁ。

アートシンキングが体験できるモバイルハウスを作って、日本中を美術館にしたい!