愛と力とセンサーの話


愛(LOVE)が必要な時代と言われる。もうすぐ50歳になる自分は、35歳ぐらいのころに違和感を感じつつも、ほぼずっと力(POWER)中心というか、力ベースで世界をとらえていたし、疲れてもいた。世界とか社会といったものをとらえるのに愛を意識し始めた・愛に意識的になったのは5年ほど前、44歳の時からだった。

しかも僕は子供のころ、自分の姉から「はっちゃん(僕)は冷たい」と言われたこともあり、今でもずっとそのことが心に残っている。
※姉が転んだ時、僕は振り返りそれを見て足を止めたにもかかわらず、姉に手を差し伸べることもなく、そのまま前を向きなおして走り去った(笑)

こんなこともあり、僕は自分のことを冷たい人・愛の足りない人間だと思いがちです。

こんなメンタルモデルの僕が、最近とても感じることが一つある。愛の信者(と僕には見える)の人が唱える「みんな愛を持とう」「目の前の人・周りを愛そう」といったような言葉が、自分には愛の強要と感じてしまうのです。もはやこれは愛ではなく、力での抑え込み、まるで羽交い絞めにされているかのように。

また、なぜだかは分からないが、そんな僕が感じる愛の信者の多くの人が、「自分は周りから愛されていない」と感じているようにも見える。
※もちろん、愛の配慮が足りない人は、男性中心にまだまだ多いとは思うし、僕自身も配慮に欠けることも多いけど。

そんな、もっと愛されたい愛の信者の人たちに言いたい。

・あなたの愛の感受センサーを研ぎ澄ませ!あなたはすでに、周りから十分愛されている。愛を周りに強要するな!

と。

それでも自分への愛を感じられない人は、センサーの感度以上に周りからの愛を受ける必要があるのかもしれない。そんな時はこれしかないとしか、今の僕には言えない。

・あなた自身が愛されたいのなら、自分が愛されるのを待つのではなく、周りを愛することの行動を自ら起こせ!
・愛とか家族とかいった言葉を使って、自らが変容することから逃げるな!成長の機会を逃すな!自らが持つ内に秘めた勇気を手放すな!

「こんなことを感じている自分は、やっぱり愛の足りない冷たい人なのか?」という、自分への問いとともに。