愛梨のゆでたまご日記:2020年春@松濤ハウスメモ


2020年4月。多拠点生活者が圧倒的に多いCiftだけれども、コロナによる世の中の状況の変化により、松濤ハウスでは、突如、子どもを含む約十数名が、この一軒家からほぼ家からでないという異常な生活が始まった。6月になった今のタイミングで、2020年春(4・5月)がどんな2ヵ月だったのかについて、ゆでたまご日記を書く10分間だけ、想いを馳せてメモをしておきたい。

意識で繋がる拡張家族に挑戦する私たちだが、空間や時間を共にすることで、「意識で繋がる」が助長されるんだなあと感じた2ヵ月間だったような気がする。

たくさん、たくさん、遊んだね。誰かの「これやりたい!」が順番にやってきて、住民たちがそれに全力で乗る。言い出しっぺが、小2の少年の場合もあれば、中1の少年の場合もあれば、20歳になりたての女性の場合もあれば、30歳の私の場合もある。そこに大人子どもの垣根もなく、みんなが大人であり、子どもだ。故に、中心がないのにいつも活気のある、謎の一族として成長していった。

「熱を持ち続ける中心人物が必要」というのが多くのコミュニティ論の前提である中で、中心がないのに循環が生まれている活気あるコミュニティは、自分が見たかった景色の1つであり、それが勝手に生まれている今の状況は、「あれ、私の夢がかなってる…?」という気持ちにさせてくれるほど、一瞬一瞬が、感動的だ。

昨日、中1の少年が、おじいちゃんに、airpodsを買ってもらって、喜んでいた。去年と一昨年の誕生日のプレゼントをもらわなかったから、その分+中学の入学祝とのことで、彼の中ではなかなか高価なプレゼントを買ってもらった気分だった様子。彼のお兄ちゃん?師匠?的存在になりつつある別のメンバーとおそろいだということもあり、ルンルンしていた。ここまでは、よくある日常の話。

私が、「いいな~、いいな~」と、大人げなく羨ましがっていたら、少年に「あ、シェアにしよっか?俺学校行くとき持って行けないし、その間使いたい人がいたらつかったらいいよね!シェア部屋に置いておくね~。」と、さらっと言われた。ニュージェネレーションだ…というジェネレーション話はさておき。

私も、大概なんでもシェアする派だけれど、イヤホンシェアはまだやったことがなかった。というか、3回分のお祝い分として買ってもらったお気に入りのイヤホンを、こんなにもさらっと差し出せる彼に、圧倒的な愛を感じたのはもちろん、この2ヵ月の間に、彼の中で何かが加速したことを感じ、なんだか涙が出た。彼の中に、元々、シェアの概念がどこまであったのか、わからない。けれど、ここまでではなかったはず。これだけ一緒に過ごすと、人はこういう風に拡張されていくんだな…ということに、ものすごく尊い気持ちになった。

ちなみに、そんな彼は、この2ヵ月で、Ciftのメンバーになるための入会金25,000円を稼ぎ、来月から正式なメンバーとして平和活動をしていく仲間になる。(我が家で毎日のようにお菓子を作り、みるみる腕を上げ、住民に販売し続けていた。)未来の楽しみが、また一つ増えた。

これはただの一例だが、彼は、この2ヵ月でのこの家の変容を表す象徴的な存在であるともいえる。

まとまり切らないけれども、最近の松濤は、こんな感じで、ちょっとおかしい。今の私は、ここで実験のプロセスや結果として生まれている奇跡みたいなことを、どうやって社会に還元していくかということばかり考えている。いろんな社会課題を解決するためのヒントが、ここに、詰まっている。

今夜は、しばらく我が家を離れていたレンくんが、帰ってくる。今を純粋に生き切った2か月を経て、そろそろ、みんなで、少しだけ、未来の話をしたい。そんな気分。