【Cift京都】こんなにも美しい始まり方ってあるんですね。


先日、Cift京都始まるよレポートをアップしたところ、ダンクソフト社長の星野晃一郎さんがシェアしてくださり「はじまり、はじまり」とエールをいただいた。さすが「デジタルではじまりをつくる」を掲げる会社のトップだけあって、はじまりの気配に敏感でおられる。

今日はこの「はじまり」の「はじまり」について書いてみたい。

Cift京都の話をして、こういうことをしているよ、と説明すると「資金運営ってどうしてるんですか?」というたぐいの質問をよく受ける。気持ちはわかるが、これ、そういうんじゃないんです。じゃあどういうのなんだ。えっと、話せば長くなるが、こういうことです。

今回の舞台となる「修学館」は、もともと1970年に女子寮としてつくられた学生寮だ。教育に志高かった先代オーナーが、まだ女子の一人暮らしが理解されにくかった時代に、「親御さんが娘さんを安心して送り出せる下宿先があれば、女子にも学びの機会が広がるはず」と、みずから女子学生の受け皿を作ったのが始まり。国連で女性差別撤廃条約が採択されるのが1979年、日本の批准が1985年だから、先見の明というほかない。

その後、修学館は時代の変化に応じて役割を変えてきた。最近では、留学生寮だった時期もある。大学のまち京都には多くの留学生がやってくるが、外国籍の留学生が住まい探しに苦労する例はあまりに多い。女子学生の次は留学生。そうでない人なら直面しなくていい困難に向き合わざるをえない人の小さな声を聞き逃さない。「東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い」と詠った『雨ニモマケズ』の宮沢賢治を思い出す。

現オーナーにもその気概は受け継がれ、今回、Ciftとのこの奇跡のようなプロジェクトがはじまった。二人三脚ならぬ三人四脚のパートナーであるフラットエージェンシーも修学館誕生当時から先代・当代の二代にわたる意志に伴走している。

私が参画した時点では、すでに初動の大半は決まっていた。聞いた当初は「ほんまかいな」と耳を疑ったが、その後、計画を共に進めてきて聞いた以上だったことを痛感も実感も体感もしてきた。つまり、こういうことだ。

まず、現オーナーがCiftの理念に共鳴した。修学館は築40年をすぎ、ちょうどメンテナンスの必要な時期を迎えていた。そこで、これを機に大々的にリノベーションをして、Ciftの社会実験の場のひとつとして修学館を使うといい、という話になった。
「新しい時代の暮らし方を見てみたい」
「修学館でそれが実現すれば嬉しい」
建物とともに先代の遺志を受け継ぎ、次の世代を育てていきたいというオーナーの深く高い志には、大変なことを学ばせていただいている。

そしてフラットエージェンシーと共にリノベーションが計画されていくのだが、驚くのはその大方針。
「あなた達Ciftの思い描く暮らしがしやすいように」
そんな人っているのかと思うだろうが(私は思った)、掛け値なしに本当の話だ。

「拡張家族って何なのか」「実際のところ、どんな暮らしをしてるのか」。オーナー、フラットエージェンシー、そして設計を担当する建築家、全員が東京まで足を運んで先行するCiftの2拠点を見学に来られた。「そうか、こういうことか」と肌感を得て、改修プランはどんどん共用部が増え、間取りがオープンになり、中庭に向かって開いていった。もともと知性の感じられる清涼な建物だった修学館に、さらに広がりと共時性が加わった。

Ciftは次のパラダイムを小さなポーションでお試し実施する社会実験のコミュニティでもある。お金の時代と専有の時代が終わって、もっとこうなってほしい、こんなふうだと世界はもう少し優しくなれる、そう考えるモデルの苗代を実験している。それがこんなふうに社会に実装されていく様子は、控えめに言って感動的だ。

こんなにも美しい始まり方を見せてくださったオーナーの宮崎夫妻とフラットエージェンシーの皆さんと設計の土橋先生には、ぜひ始まってからのCift京都もご一緒いただきたいと心から願っている。社会の先輩として、Ciftの隣人として、そして次の世界の創り手として。

現在、Cift京都では、これからの世界を一緒につくっていく住人を若干名募集中です。
わくわくする気持ちごと投企してくれる人ウェルカム!