【Cift京都】京都下鴨修学館、最初の一週間。


8月10日(月祝)

朝11時、先行入居の3室の鍵渡し。オーナー宮崎さんご夫婦立ち会いのもと、フラットエージェンシーのプロジェクトリーダー橋本浩和さんから鍵を受け取り、重要事項説明を受ける。9月の一般入居に先立ち、ここのコミュニティマネジャーを担う山倉あゆみ、大月家、チーム関目の3室がこの日から入居し、京都下鴨修学館の時計が再び動きはじめた。

先行3室の面々はみんな計画力も行動力もピカイチ。

大月家は自室に必要な家具調度を一式持ち込んだ他、事前に購入してあった家具をこの日にあわせて配達。共用部にギフトしてくれるイームズチェアと座卓も持参という周到ぶりだ。

あゆみのコミュマネ部屋には、新潟から運んであった荷物に加えて、淡路からは家具、日用品、漬けたばかりの今年の梅干しもやってきた。箱いっぱいの食器は彼女がこれまでにひとつずつ集めてきたお気に入りのものばかり。淡路からは京都メンバーのひとりでCift初期メンバーでもあるチコが手伝いかたがたオープニングにかけつけた。運び込むや、その足で棚などを探しに飛び出すコミュマネ部屋チーム。

記念すべき入居開始日。とうとう、本当にとうとう、いよいよ始まる。まだ外装は工事中だ。

8月11日(火)

2日目、あゆみが事前に発注してあった家電が届きはじめる。冷蔵庫、洗濯機、レンジにケトルにブレンダー。受け取り後は、ホームセンターや無印良品などを回って、日用品を一気に調達してくれる。

ゴミ箱だけでも、キッチン、洗面、リビング、トイレと場所と用途別に複数いる。ハンドソープに食器洗剤、台所用スポンジ、クイックルワイパー、キッチンペーパー、台拭き、食器拭き、雑巾、ティッシュペーパー。キッチンとトイレのセッティングは緊急度も高い。

まっさらからの生活の立ち上げって、こんなに本当に何もかもイチから調達しないといけないのだ。あゆみとチコと大月家が、この新しい「家」の始まりの一切を引き受けてくれている。グループチャットでその様子を垣間見ている私たちは、ただただ感謝しつつ、酷暑をいとわず駆け回る初動チームに感謝の言葉を送るばかり。

そしていくつかの想定外も起こりはじめる。大型冷蔵庫の設置場所が、当初予定ではうまくない。電源が遠く、キッチンとの動線もいまいち。大家の宮崎さんとフラットエージェンシー橋本さんが急きょ駆けつけて緊急会議の末、リビングの一角に置くことで落ち着いた。

そこへ織人がラ・ヴァチュールのタルトタタンを手土産にやってきて、夜には仕事を終えた佐藤毅純君が立派なちゃぶ台といい感じの食器棚とシャンパーニュと共に登場した(たぶんダイソンも)。

「テーブル完璧! そしてもっと完璧なのが、一切測ってないのに、ぴったりだった棚と冷蔵庫の位置!」というメッセージと共に一枚の写真がグループに届く。測ったってここまでぴったりにはならないだろうというジャストフィットぶり。あゆみ愛用の食器たちともぴったりだ。

太い脚のどっしりした円卓は穏やかな吸引力で人を集める。気がつけば皆でそこを囲んでいる、そんな場所がリビングに生まれた。春秋山荘の囲炉裏端を思い出す。

8月12日(水)

朝、グループに届いた写真で、3日目にして、朝のコーヒーが飲める環境が整っていることを知る。すごい。本当にすごい。私は修学館から自転車で30分のご近所さんではあるけれど、この2日はべったり予定があってまったく顔を出せていない。その間に、みるみる「生活の場」ができていく。

日常が始まるにつれ、「あ、ここにあれがいるね」というのが見えてくる。

「洗面所とトイレにペーパータオルとゴミ箱があった方がいいと思う」
「上のカフェスペースにも食器洗い洗剤とスポンジが要るね」
「シャワー室にお風呂椅子が欲しいのだけど、どうかな?」
「庭の極楽鳥花がめちゃ綺麗。誰か、花器と剣山ある?」

このあたりのセッティングはほぼあゆみとまゆちゃんがやってくれている。

「ゴミ箱は変なの買いたくないから、消耗品優先して買ってくる」
「そしたら、ゴミ箱、見てくるよ」
「いいの見つけたら連絡するし」

 

そこにいて手伝えない後ろめたさを、以前の私なら罪悪感として引き取っていたけれど、編集学校とCiftでの経験は、それを感謝の気持ちに変えて恩送りにすることを教えてくれた。

ツールに詳しい組の知恵出しも始まった。
「スマホロックを導入できないかな?」
「紛失とか考えると、そっちの方が安全だと思う」
「僕自宅もこれです」
メンズの実感値は上々らしい。今度フラットエージェンシーさんに相談してみようかね。

三々五々メンバーが動いているさなか、雨雲レーダーの画像がグループに届く。青どころか、黄色や赤の不穏な雲が京都市北部を覆っている。
「急いで帰ってー。(強い通り雨が)くるよー」

夜、在宅組は煮穴子ちらし寿司。キムが内覧の友達を連れて登場。外出組は、東京在住のメンバーおすすめのお肉を食べに木屋町へ。

8月13日(木)

朝、Ciftメンバーのチベット体操に京都ハウスからあゆみと康子が参加。え、康子? いつ来たの?
「今朝つきました!」

チベット体操を終え、黒メックのクロワッサンとお茶とナスと壁時計をもって、3日ぶりの修学館へ。洗面台に可愛い苔石。聞けば、朝、道ばたで拾ったものらしい。

生活必需系はひととおり整い、すでにグリーン等の調達フェーズに入っていた。あと要るのは?
「箒とちりとり」
「IHで使える鍋とフライパン」
箒ならうちにいいのがある。鍋とフライパンは、短期貸出ならできる。だって康子があのスパイスカフェ仕込みのカレーを作ってくれるのに鍋がないだなんて、貸すしかないじゃないか。

大月家はいったん帰宅。また月末頃に帰ってくる。関目君の部屋もあっという間にひとまず出来上がっていた。夜はスイーツ好き4人でアシェットデセール未完へ。

8月14日(金)

でも、まだまだこまごまと要るものがある。というか、出てくるのだ。
「住むとまた、あ、これ、ここに無いとダメだな感がわかるよね」

「ドライヤー、キッチンペーパー大量、ハンドソープ2個、バスマット1個、お風呂籠4、トイレスリッパ、計量スプーン、2階にクッション」
「みんなのとこにあればほしいもの。水グラス、ワイングラス、泡グラス、抹茶碗、湯呑み、お椀、ご飯茶碗。気軽に使える取皿10枚、丼とか、ラーメンとか食べる感じの器10」

「あるよ」
「これどう?」
「お皿これ全部どーぞ」
井田君から大量のギフト予告が届き、メッセージグループが和む。きっと離れている誰もが嬉しく思っていることが伝わってくる。

と言っているところへ、オーナー宮崎さんのご親族一同が見学に来られた。

「「めっちゃおしゃれやー」「お父さんの作った家、蘇ったわぁ」「嬉しいなぁー」って、喜んでくれてました」
あゆみの報告を受けてはなこさんが呟いた「住まいは住まわれて生きる」に賛同が集まる。

夜は、康子のツバスと梅干しのカレーと、王道ココナツチキンカレー。あまりの美味しさに無言。その後、スイーツ談義を経て、夜更けまで建築談義が続いた。

8月15日(土)

朝からリビングの畳コーナーでお茶時間。親友と会いに出かける康子を送り出して、あゆみと私はプロジェクトの経費整理など実務をこまごまと手がける。新型コロナ対策を含め、ハウスルールも8月末までに運用を開始する必要がある。

そこへ「日々準備ありがとうございます!現地お手伝いいけませんがせめて…」と届いたオジーからのメッセージが、まさにこのフェーズで、「共有であると良さそうなもの」として、救急セットや防災袋を指摘してくれていた。

まゆちゃんからは「これフォローしとくといいかと」と、近所のスーパーのSNS発見の報が届く。

 

Ciftコンセプターの藤代健介はコロナ以降、時空よりも「意識でつながる」ことに目を向けている。もともと多拠点生活を前提としたCiftのあり方は、生活や活動や場を共にしていることと同じくらい気持ちのつながりをよく見ているが、それがどういうことかがここにきてあらためて実感できる。

夜には、なんと純真&ミカエルがふらっと訪れ、一泊していく。純真、ミカエル、ようこそ京都へ。ようこそ修学館へ。

8月16日(日)

イノダでモーニング、いづ重で鯖寿司、フレンドフーズで調味料ハンティングと、京都を満喫した河崎家を送り出す。

そこからは、ホームセンターへ買い出しに行ったり、家でごろごろお茶したり。

「ざぶとんたくさん出た」
「ほしい!」

今年の送り火は異例の種火のみ。下鴨の疏水沿い、「妙」を目前に仰ぐ修学館からは、「妙」の種火がくっきりと見えたという。佐藤一家と送り火の会を楽しみ、康子は東京へ。そしてミカエルからは帰宅の報が届く。

 

修学館は、共有部がまっさらの状態で始まった。大家さんもフラットエージェンシーさんも設計士の先生も、「作り込みはCiftさんに任せる」と一任くださった。イメージする暮らしぶりに合わせて、必要なものを整えてほしい、という手放しの信頼は、なかなか出会えるものではない。

とはいえ、これだけの規模のコーディネート、バイイング、セッティングだ。負荷は相当なもので、そうそう出来るものではない。それを本職とする山倉あゆみがいなければ、きっと修学館はまだ料理も満足にできない、いや、それどころか、トイレやお風呂にも不便を感じるハコの状態だったろう。それをわずか5日でやってのけた彼女の凄腕ぶりには感服するばかりだ。また、最初の3日間で自室と共有部の作り込みを並走した大月家の存在もはかりしれない。

それと、離れているメンバーから折々に届く言葉や提案や提供できる物の写真たち。そこにいなくてもできることがある。物理的に送るだけが方法ではない。誰かのできないことを、他の誰かが引き受ける。何より、引き受けられるのは機能ばかりではないはずだ。

ここは挑戦と失敗の体験の場。ナタリー・サルトゥー=ラジュは『借りの哲学』で「借り」という概念を導入することで、「贈与」の主体を「した方」から「される方」に移した。「贈与」も「借り」も受け取ることから始まる。等価交換というのは、受け取ったそれを「負い目」にしないための人類の発明だとは思うけれど、それは離脱の方法としては割と安易な部類に入ると思う。それよりも、「借り」の後ろめたさに対するある種の開き直り力を鍛えてみたらどうなるだろう。おそらく、このCift(あるいはCift京都)という道場で体験されていくことは、それぞれにとってのちょっとした修業になっていくはずだ。この修業は、たぶんかなり新しく、そしてまちがいなく楽しい。