Ciftを「創る」に至るまでの僕の冒険


僕は発起人なので、問いは「なぜ入った」から「なぜ創った」に変わります。

Ciftは自分の内から突然に発明したものでもなくて、長い間の潜伏を経ての表出です。それは自分の内的変容と呼応した現れであったりもします。

今回はその話を少し。

自分は大学院在学中からprsm(プリズム)という会社を創設し、そこで主にコンサルティング業を営んできました。

コンサルティングと言っても多種多様な中で、僕はコンセプトを構造化することが得意なのでそれを生業にしてきました。これも特殊な仕事を発明したという自負もあるので、どこかで共有する機会があるかもしれません。

他者の課題を解決するのがコンサルティングだとしたら、その中で色々な経験値を培いながらも、自分の心がそこでは満足しないことに気づきつつありました。

実はCiftは僕にとって二度目の自分で起ち上げたコミュニティです。一度目は2014年に東京祐天寺にて半年限定で人生をプロトタイプするためのコミュニティ「PROTO」を起ち上げたことがありました。

それは最初から決めていたのですが、様々な実験を通しての学びを経て半年で解散しました。

ここでの実験があったからこそ今のCiftはあります。

一部のメンバーはCiftでも共にありますが、この半年間を一緒に過ごせたメンバーは今でもかげがえのない仲間です。

そこから三年ほど世界中を旅しながら、多様な人と出会い、様々な価値観に触れました。その中でご縁に恵まれてこのCiftが誕生するに至りました。

ここに至るまでのご縁はLIFEとWORKの両方にありました。

LIFEについては本当に多くの人の影響があっての僕ですがここでは大きく三人が上げられます。

一人はPeaceWorkLabというコミュニティを一緒に起ち上げた松田創さん。彼が起ち上げたこのコミュニティでの経験が、Ciftのコンセプトの土台にあります。

もう一人は世界創造マップというプログラムで学ばせてもらった木戸寛孝さん。彼のプログラムで人生として歩むべき道に対する羅針盤をもらえた気がしています。

最後の一人は人生をアートしながら生きている井口奈保さん。彼女と過ごしたベルリンでの生活で自分が人生というアーティストになるという実感が湧きました。

WORKについては今も一緒に家族をやっている近藤ナオさんにお世話になっています。Ciftが始まるきっかけになったSHIBUYA CAST. APARTMENTのコンサルティング案件をナオさんがプロデュースしてくれました。

そしてその後のCiftが社会とバランスをとりながら存在しながら発展できているのも彼がいなくては何も成立していなかったでしょう。

そしてもう一つ別の切り口から、今の妻である詩歩の存在です。

当時は渋谷で同棲していたのですが、Ciftを渋谷で起ち上げることをきっかけに二人の拠点を逗子に移したこと、そして二人の時間のために共に生き方を変容させながら、理想的な二人の在り方を模索し続ける妻の存在がなければ今の僕の生き方は成立していないでしょう。

この他にも、北京でのグローバルエージェントの一員として経験、イギリスでのビジネスコンサルタント修行、ジュネーブでの世界基準の若手リーダーの集い、関西での公共経営の勉強会、グアテマラでのマヤ先住民族との年越しなどの体験と気づきが今のCiftに繋がっているなと節目節目で感じます。

なんだか、本で言うところの巻末の感謝文みたいになってしまいましたが(笑)、それが冒頭のエントリーになるというのも中々乙かもしれません。

これはCiftが起ち上がるまでの自分の過去を巡る旅の目次のようなものです。機会があれば一つずつ深めていけたらいいなと思います。

藤代 健介

(了)