※この文章は、2018年5月19日に開催した「Cift一周年祭!ー公開”拡張家族”対話ー」の冒頭に話したスピーチをテキスト化したものです。
Cift一周年おめでとうございます。
一周年祭の冒頭に家族に向けたスピーチをする機会を15分いただけたので、二年目にむかって今僕が考えているCiftのことをここで共有できたらと思います。
特に「私たちは何者なのか」という部分について、この記念すべきタイミングで話していきたいです。
尊敬と信頼を持って自ら接すれば、自ずと相手もその態度で接してくれます。
だからこそ、最初の障壁となるわたしの不安や恐怖を乗り越え自分を開いて、あなたに尊敬と信頼を持って接していく意識と態度は大事であるということを前提として共有させてください。
僕は自分でコンセプターと名乗っていますが、自分の定義におけるコンセプトとは「目的と手段のピント合わせ」です。なぜなら、プロジェクトにおいて目的と手段は往々にしてズレたり、入れ替わったりしやすいからです。
Ciftにおけるコンセプトは二重構造になっています。それはCiftが共に暮らす家族的側面と共に働く仲間的側面の二面性を持っているからです。
そしてその二面性における動的バランスの中で一貫性を持たせているのがCiftのコンセプトの特徴です。
1つ目のコンセプトは共に働く仲間として、目的を世界平和、手段を拡張家族と置きます。
2つ目のコンセプトは共に暮らす家族として、目的を拡張家族、手段を自己変容と置きます。
Ciftがなぜ存在するのか。その目的は世界平和です。
それに対して一人ひとりがどういうアプローチをとるかというと、一人ひとりが自己変容していくことを通してやっていきます。その間にあるありたい状態として、拡張家族という状態でありたい、というコンセプトを掲げて活動しています。
つまり、世界平和がCiftの存在目的、拡張家族がCiftの存在状態、自己変容がCiftの存在手段ということになります。
世界平和というと強い言葉に聞こえますが、ここでいう世界平和における世界と平和の概念についてそれぞれ考えていきましょう。
平和とは穏やかな状態のことをいいます。そしてここでより大事なのが「世界」の方です。世界は全体と言い換えることができ、この全体に対する哲学がポイントだと僕は思っています。
私も世界、Ciftも世界、人類も世界というときに、自分の世界はどこまでなのか。世界という全体を捉えて、そこに対して平和にしていく。まずは私が平和であること。私が穏やかで平和な状態であって、初めて隣の人を平和にすることができたり、平和について考えたりすることもできる。
Ciftにおける平和活動とは、そのようにまず私という世界を平和にしながら、世界自体を少しずつ拡張していくという捉え方をします。
この時、内側を充分に深めながら、外側に徐々に広げていくという動きが重要です。
世界の捉え方として、意識と態度の2パターンがあり、どちらであるかによってその範囲は変わって然るべきです。
意識とは、そこに愛の意識を向けることです。具体的な態度、行動に落ちている必要はありません。そこにあるのは祈りであり、自己を消失させてその世界に溶けていくことです。祈りはとても大切ですが、それだけでは世界は平和になりません。
態度とは、そこに愛の意識を向けながら、具体的に力を行使して態度、形にできることです。そこにあるのは行動であり、自己を拡張させてその世界と同期していきます。同期すればそれは即ち私ですからその世界の全てが自分事です。
私の世界が拡張するということは人生がより複雑になることを意味します。そのときにそれを穏やかにできる力とのバランスが重要です。なぜならそれを見誤ると最小の私の平和自体を脅かされるからです。
いまCiftは、意識と態度を具体的に統一することに挑戦しています。意識としても愛があるし、態度としても具体的にアクションができる。
まず1人、次に5人、10人と拡げていって、いま56人になっています。最終的にはこれが100人、1000人となっていったらいいなと。
どのように自分を拡張させていくのでしょうか。それは自らを変容させようとする意志とそれを保持する環境が重要です。具体的な自己変容を言えば、2つの自己拡張パターンと1つの自己消失のパターンで整理ができます。
自己拡張とは自分を外側に開くことです。上の図においては次元上昇です。心と体が統合された存在としてのわたし。そしてあなたとの動的バランスの中で暮らし方。そして働き方との動的バランスの中で経済。そして行政との動的バランスの中で態度として共同体と繋がります。
自己消失とは自分の内側に入ることです。上の図においては次元下降です。体と心を分解した存在としての理性。そして本能との動的バランスの中で顕在意識。そして無意識との動的バランスの中で意識として暗黙知へと繋がります。
自分の身体が拡張して共同体までいけるのかという話と、自分の頭や魂が消失して(溶けこんでいって)全体と共にあれるのかという話、この二つのベクトルで、自分たちは自己変容していると思っています。
自己拡張とは自分を外側に開くことです。右の図においては人数増加です。これはわたしとあなたにおける関係性の中でのあなたが増加していくことを意味します。そうすることで共同体全体における母数が増えていくことで自己が拡張していきます。
人数が増えることで、より複雑な全体が形成されることになるので、それに態度が追いつくための力が求められます。
わたしがあなたたちに拡張してわたしたちになっていく過程の中で、対立的な関係性を同時に築くことになります。
共に暮らす中では、「あなたもわたし」であり、境界線はなくお互いが溶け合います。そこには安心感があり共依存関係があります。それは、居場所がある家族的な関係と呼べるでしょう。私たちは一つの家族です。
共に働く中では、「あなたとわたし」であり境界線がありお互いが際立ちます。そこには尊敬があり無条件に信用できる共自立関係があります。それは、出番のある仲間的な関係と呼べるでしょう。私たちは個々が仲間です。
Ciftは一つであり一人である相反する矛盾した関係性を動的平衡の中で、どちらの関係性も持つことに挑戦します。
その上で、動的平衡が昇華した時に分裂と統合を代謝として絶え間なく繰り返す自己組織化された一つの生命体となります。
生命体のような拡張家族。
ひとつであり、ひとりであるという矛盾の中で更に、全体を包む膜を時間軸の中で少しづつ深まり、広まり発酵させていきます。膜の中では、泡が統合したり分裂したりを常に繰り返しています。家族が深まれば泡の統合単位はより大きくなり、仲間が深まれば泡の分裂単位はより小さくなります。
社会はフラクタルであり、時に全体であり、時に部分である経験をすることが望ましいと思っています。
Ciftは社会における市民という部分であり、共同体における枠組みの全体です。共に働く中で、Ciftは市民という立場の職業を作ることをミッションにしています。
創造的市民とは、シンギュラリティを迎える社会において、アーティストであり、未来の職業であるといえるでしょう。
社会の中で、
企業が、他者の課題を理解し解決をすること、
行政が、全体の課題を理解し配分をすることに対し、
市民は、自己の問題を共有し気付きを下ろすことがその役割でありそれに挑戦しています。
同時に、Ciftは共同体であり、それ自体が社会でもあります。共に暮らす中で、Ciftは自助と公助と共助がなりたつことをミッションにしています。
共同体の中で、
自助として、個人間の社会関係資本の経済システム、
公助として、税金の徴収と家族としての再配分、
共助として、一即全体として他人との助け合いが成立することに挑戦しています。
今日はこの中でどんな取り組みが行われているのかを全て共有するのは難しいですが、様々な取り組みが進行中です。
そして今日はこの一周年に向けてリリースできたWebメディアについて発表です。こちらは編集長のねことデザイナーのエリ、編集のマリコちゃんが中心になって進めてくれていました。本当にお疲れ様でした。ありがとう。
ココから平和活動として、自分たちの気付きを社会に閉じないで公開できればと思います。
目的は意識家族になることです。
しかし意識だけでは実際的な人間関係を築くことはできないので、それを体現するための手段として時空間を指定する場を用意し、態度を育む家庭を作ります。ここSHIBUYA CAST.以外にも新しい家庭がどんどんと起ち上がっています。
家庭は全国で展開されますが、家族は常にひとつです。
なぜそのような活動をしているのかと言えば、私達の挑戦は意識のイノベーションなのです。そしてそれは、主体的個別的世界観を破壊し、主体的全体的世界観を創造するということです。
指数関数的に時代が変わっていく昨今、シンギュラリティを前にして私たちは技術的にだけでなく、思想的にも、自分に閉じた意識から、全体へ自ら開く意識へとシフトすることが重要です。
主体的全体は、まさに自然と人間が共創造する時代へと突入する人類史においてもとても貴重な時間軸に私たちは立ち会っています。
そしてそれはまさに、「今事記」としての神話を生きていることに等しいとさえ感じています。
市民的アプローチにおいて、常に対象は自分の内側です。そしてそれを開き拡張させていくことです。主体的全体として開いた私を広く深く拡張する、その在り方そのものが世界平和活動であり、世界自体もまた拡張していくのです。
それがCiftが存在している理由になります。
以上です!
今日はCiftの家族がほぼ全員集まって、皆で対話する日です。皆の話を聞くのがとても楽しみです。
ご清聴ありがとうございました。
Edit:福田容子