Ciftには、格別面白い人たちが集まっている。
「自己実現」に対しての意識が高く、実際に実現しているように見える人達ばかり。
そんな中、おそらく私は客観的に見て、一番「平凡」なのではないかと思う。
「働くこと」を通じて、何がやりたいのか、何を生み出したいのか、まだ答えが出ていない。
「働くこと」に限らず、「生きること」に関しても同じこと。
毎日毎日、自分自身を「掴む」ことに、必死でいる。
「力」が足りない。
そんな私の人生の中での一つの大きな転機は、
5年間務めた、安心・安定が保証された大手企業を辞めると決めたこと。
それなりに楽しく仕事をやらせてもらっていたと思う。
でも、
ふと、
「本当に本当に、自分の限られた時間とエネルギーを注ぐ対象は、今の仕事で良いの?」 と、本気の自問自答をしたときに(なかなか骨の折れる作業だった…)、答えはノーだった。
そうはっきり自覚をした瞬間から、人生が大きく変わりだした。
やってみたい仕事の骨格もやっと見えてきた。
どう働きたいか、どう生きたいかも少しだけ見えてきた。
新しい風が、出会いが、どんどん舞い込んできた。
(多分、ここまでは、一般的な転職女子)
そんな流れの中で、Ciftと出会った。
けんちゃん(藤代健介)の実現したいことに、共感した。
こんなことを言えばツッコミが殺到するかもしれないけれど、私が実現したいとふわっと思っていることと根本は同じだと感じた。
しかし、「ゲスト」としてCiftを訪れることはあっても、 Ciftメンバーになるイメージは全く湧かなかった(考えたことすらなかった)。
なぜなら、ゲストとしてCiftで時間を過ごす間ずっと、居心地の悪さを感じ続けてきたから。
そんな、Ciftの「居心地の悪さ」について、
何気なくけんちゃんに話していた時に なぜだかCiftに誘われた。
こっちは「居心地が悪い」って言っているのに(笑)。
この人は、人の変化に敏感で、その変化の瞬間を絶対に見逃さない人だなぁ、本当に。
今思えば、突然のようで、絶妙なタイミングのお声かけだったと思う。
迷った。 イメージしてみた。
やっぱり居心地が悪い(笑)。
…それでも、Ciftに入ることに決めた。
なぜか。
私は、 人間が好きで、 人間同士が交わる中で生まれる「化学反応」が大好きで、 毎日、人間がいる限り、面白くてたまらない。
昔からよく、人への興味が強い父親と一緒に色んな国のまちを歩き、 道のベンチに座っては道行く人を眺め、一緒に彼らの人生を妄想していた。
いつからか、人を見るとその人が歩んできた人生を妄想する癖がついていた。
それから、親友と呼べる人と出会い関係を深めたり、それなりに恋をしてみたり、深い、絶対的な関係性を築く経験などを重ねる中で、 客観的な観察や妄想だけでなく、 もっとリアルに、人と心の交流をしたい、知りたい、知り合いたいという欲求がどんどん大きくなっていった。
Ciftは、他人同士が本気で家族になるための社会実験の場。
全員が家族になるかもしれないし、ならないかもしれない。 それぞれの関係性の中で適切な距離感を見つけ、その距離を愛せるようになるのかもしれない。
そんなCiftというコミュニティの内側に足を踏みいれてみて、人と人とが繋がる瞬間に立ち会いたい。 そして、私も。 より自分を開き、崩し、強く、人と繋がれるようになりたい。 そんな興味・欲求に、負けた(?)。
Ciftで、一番平凡な人間である私(という言い方が正しいのかわからないが)だからこそできることがあるように思う。 Ciftの居心地の悪さの理由とも、もっとしっかり向き合いたい。
(今日時点で私が考えるCiftの居心地の悪さは…まだ上手く言葉にする自信はないけれど、もし気になる方がいればこっそり教えます。不完全でよければ)
Ciftに入ることは、私にとって、「実験」であり、大きな「挑戦」。
加藤 愛梨
(2018.06.13)