歩み寄って、 わくわくしながら共に、 前へ進んでいくこと。


私はずっと、真面目な優等生だった。
決められたことを守らずに人に迷惑をかける人たちが、大嫌いだった。
なぜ、真面目に言われたことをやらないのか、理解ができなかった。

私は、総理大臣になりたかった。
歪みまくった日本の社会を、一から直してやりたかった。
なぜ、日本を代表するような大人たちが、人を傷つける発言を平然としているのか、後に生きる人たちのことを考えずにのうのうと生きているのが、理解ができなかった。

そんな私には、まっすぐで尊敬する幼馴染がいた。
でも彼は、いつも宿題をやってこなかった。
「なんで宿題やってこないの?」と憤る私に、彼は「放課後は忙しいから」と答えた。
どうせ他の子達と遊び呆けているくせにと、そう思っていた。

中学3年生の時、彼は交通事故で亡くなった。
その時わかったことがあった。
彼には3人の小さな弟妹がいて、その面倒を見ていたのはいつも長男の彼だった。
私は自分の正義を振りかざすとんでも野郎だったのだと、ようやく気づいた。

朝井リョウさんの小説にのめり込んだのはそれからだ。
本を開けば、私がどうしても理解できないと思っていた人たちの心の中を覗くことができた。
あの人も、この人も、一生懸命にそれぞれの人生を生きている。私と同じ人間なんだ。
そんな単純な事実を、ようやく理解できるようになった。

私は幼稚園の頃から、親の街頭デモについて行っては「〇〇反対」と叫んでいた。
物心ついた頃からずっと、矛盾だらけの社会に対して怒っていた。

でもふと不思議に思うようになった。

反対、反抗、否定。
その先に何があるんだろう。

この人にも、あの人にも、それぞれの正義があるというのに。

総理大臣の前は、私はケーキ屋さんになりたかった。
美味しいものをみんなで食べることが大好きで、家族の誕生日の度にケーキを作った。
みんなでにこにこしながら美味しいものを食べる瞬間が大好きだった。

2011年の3月11日は、中学校の卒業式の前の日だった。
1週間以上が経って、仙台の私の家でもようやくテレビが観られるようになった。
私はあの道路のこっち側にいたから、津波にさらわれなかったんだとわかった。
「生き残った」という感覚が、私にのしかかってきた。
私はみんなの分も社会のために何かしないといけない、そんな焦りを勝手に感じるようになった。

震災の後しばらく、私は一家の買出し係だった。
「家にある食べ物が尽きたらどうしよう」
そんな不安を感じるのは、生まれて初めてだった。
私は思い当たる限りのお店に自転車を走らせて、食料を買いに行った。
一番最初に食料を買うことができたお店は、小さな小さな八百屋さんだった。
雪の中、数時間並んでようやく入った店の中には、色とりどりの野菜たちが並んでいた。
「食べ物を当たり前に口にできるのは、恵まれたことなんだ」
それから「飢餓」「食料廃棄」といった言葉にとても敏感になった。

大学に行って何を勉強するか考えていた高校2年生の時、いくつかの大学には「農業経済」という分野があることを知った。
「途上国の食糧問題」「日本の食料自給率」
そんな言葉を見て、私がやりたいのはこれだと確信した。
ずっと心の中でひっかかっていた問題を、自分の力で解決できるかもしれない。

そしてその先には、みんなが美味しいものを食べて笑える幸せな社会が作れるかもしれない。
「これなら自分はみんなの分も頑張れるかもしれない」
そう思うと同時に、とてもわくわくしている自分がいた。

私は今でも、この世界に対して怒っている。

でも私がやりたいのはきっと、
反対、反抗、否定することではなくて、
そこにいる人たちと歩み寄って、
わくわくしながら共に、
前へ進んでいくことなんだと思う。

だから、「平和活動への、拡張家族への、自己変容」という言葉が健介さんの口から出てきた時、思わず笑ってしまった。
それはずっと私の人生でやっていきたいことだし、やらなきゃいけないこと。

これが、私がいまCiftにいる理由です。