学歴のしばりが強い家庭で育ち、意味のわからないルールがいっぱいの学校で中学校までを過ごしました。
中学三年生の冬休みに、たまりにたまったストレスから両親の前で泣き叫び、そのまま進級するはずだった高校ではなく、校則がなく生徒の3分の2が帰国子女の高校に転校。
解放されるかと思ったら、豊かな(と当時は感じた)ヒト多様性の渦に放り出され、それまでの学級委員・優等生ポジションを失い、価値観&アイデンティティロスに。不安から、ひたすらまわりに合わせたがる高校時代を過ごしました。
なんとなく進んだ大学でウィンドサーフィンに出会い、脳から骨まで、全細胞が湧き返るように喜ぶ至福の状態を「体験」。それまでのすべてからの解放を経験しました。
この時期の海との関わりが背骨となり、その後の人生を過ごしています。
波も風もなくて退屈極まりないこともあれば、いい波が来て最高の瞬間を味わうこともある。変な波に乗ってしまって、巻かれて息ができずもがき苦しむこともある。すべてをコントロールすることは到底不可能であり、すべてを味わい尽くすことが生きる、ということだと思っています。
そうわかった上で、来た波のなかでどれに乗るかは自分で決めて、
結果として訪れた変化をやわらかく受け止めていきたい。
Cift.は、余白を求めて選んだフリーランスの道で、いささか退屈していたわたしに、ご縁が運んで来てくれた波です。
人生を味わい尽くすために、Cift.というこの波も味わい尽くしたいと思っています。
ひとりで波を選び、変化を受け止めることで実践してきた自己探求に加えて、この新しい家族と、お互いがお互いの鏡になって、愛をもって映しあうことで、変化が起こり、それを受け止めて自己理解が深まるような時間を、創造していきたいと思っています。そして、この世界が全体が、そんなふうになればいいなと思います。
そういうふうに思うようになったのは、メディアの編集や取材・ライティングの仕事を通して、この10年でたくさんの価値観や生き様に触れてきたことが影響していると思います。取材対象として出会った、何かしら人に伝えるべきものを持っているみなさんの共通点は、「自分を生きている」ということ。逆に言えば、それ以外は本当にバラバラで、どこにもたったひとつの正解なんてない。テストみたいに、正解を足していけばうまくいく、というものじゃないということを学ばせていただきました。
「自分らしく生きる」っていうバズワードがあるけど、「自分を生きている」は、それとはニュアンスが違っていて。「自分らしさ」って、意識した瞬間に鎧だとか殻をつくる方向に行く気がする。「自分を生きる」は逆で、鎧だとか殻を抜いで、永遠に定義づけられない「自分という自然」を冒険していくという感じ。そして、自分という自然を、どんどん豊かに、八百万の神様がいるような感じにしていくことが、「自分を生きる」ということで、そういうふうに生きている人がこの世界にひとりでも増えたらいいなと思うんです。
そのほうが色とりどりで楽しいし、みんなが楽しかったら、それが平和だから。それで、そういう人同士がお互いを映しあって、反射しあって、新しい自分を発見しながら個人も全体もどんどん進化していく未来が見たい。
Cift.は多分、ひとりひとり「自分という自然を生きる」をしている人たちが集まったら、肩書きがみんな合わせて100個に増えちゃった、みたいな場だから、私が思う「こうなったらいいな」の世界がすでに実現しているように思えます。そして、さらにその先へ行こうとしている。その一員になることで、わたしはここからまた、エキサイティングな冒険を始めたい。
浅倉 彩