アイデンティティ


私の父の母国であるバングラデシュでは、1歳の誕生日を1番盛大に祝う。
1歳になる前に死ぬ子供が多いから、1歳になれた、それだけでも大変めでたいからだ。

私が産まれた当時、バングラデシュは世界最貧国で、日本は世界第2位の富裕国だった。

小さい頃から父に連れられてバングラデシュや周辺の途上国に行っていた私にとって、
幼すぎる物乞いの姿も、街を貫くような異臭も、反吐が出るような渋滞の中のクラクションの騒音も、道端で死にゆく人がいることもどこか、”そこにあるもの”であり、”世界の現実”であった。

他方、日本。美味しい水も、無料で受けれる素晴らしき公教育も、これだけ整った公共制度もあるのに、いつもみんなは不幸そうだと特に子供の頃は感じていた。今では考えられないけれど、私も小さい頃は死にたいと思うことは幾度もあった。
私は今日本が心から好きだけれど、この国は病んでいるな、とも思う。

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きっかけは、10歳の時に読んだ黒柳徹子さんが書いた”トットちゃんとトットちゃんたち”。黒柳さんがユニセフ親善大使として巡った世界の途上国の現状が書かれた本だ。(この本は、本当に万人に読んでいただきたい!)
親に殺される子供、自分で掘った穴に投げ込まれる子供、生まれた瞬間から過度の栄養失調で日の出を待つことなく死ぬ子供。
そこには私が知っている途上国の現状を遥かに上回る過酷さがあった。

その時から、ずーっと、私は国際協力、理不尽に命を落とす人がいなくなる世界のために何かを、したいと志すようになった。

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この志は面白くも、私を非常に多くの場所へと導き、素晴らしき出会いを与えてくれるものでもあった。
アフリカから、インド、バングラデシュ、はたまた兵庫の小さな街まで。

この中で気付いたのは、先進国、途上国という括りはなく、一国一国、一人一人、欠点と魅力を兼ね備えており、互いの魅力で互いの欠点を補い合うことこそが必要だということだ。

今、私は知っている。汚くて、臭いと思っていたバングラデシュは、皆んなが自分のしたいことをしたい時にする日本が学ぶべきエネルギーが溢れ出したからこそのカオスが魅力であることを。
人の目ばかり気にして生きづらいと感じていた日本は、人を想いやり、互いに手を取る精神性が文化にも人にも街にも根付いて、それは他国が学ぶ要素が大いにあるものであることを。

経済的な意味でも、精神的な意味でも、互いの足りないところを互いの魅力で補いあえたら。なんだか、すごくふわっとした夢のような話だけれど、この輪が世界に広がることに貢献したい。

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日本を再興しようと唱える人もいるけれど、私にとってはいまいちピンとこない。
世界という単位で幸せになっていく為には、別に他より勝る必要なんてない。

あなたの幸せが、私の幸せであるならば、あなたに私が勝る必要はないと思う。
これを、私は家族に対して深く感じる。
これが、隣の人へ、街へ、国へ、広がっていけば、互いに学び、補い合えるのではないかと思う。

こよ仮説を先ずは小さくも、自分にとっては1番近しい”暮らし”を通して、試してみたくて、Ciftに暮らすことになりました。