宇宙も星も人も虫も、すべてのものが生まれて死んでいく「死に向かいつづける世界」のなかで、好ましく思うものと違和感を覚えるものがある。かなり幼い頃からずっとあった。
「家族」という言葉と概念そのものへの違和感はつねに私にまとわりついていた。血と法と性別をシステム化した巧妙で強固な統治と経済の単位。断裂と対立のメカニズム。そういうことから滲み出す歪みや濁りが、私の生家にもどうしようもなく表出していた。子供の頃からそう言語化できていたわけではもちろんない。だが、感じていた違和感、もっといえば希望の持てなさのおおもとを辿るとやっぱりそこに行くつくことだったんだろうと今にして思う。
「家族」という言葉はいつから使われているのか。気になって調べると、わかる範囲でいちばん古い使用例は江戸時代後期だった。上田秋成の随筆『胆大小心録』(文化5/1808年)に登場する。だが、広く定着したのは明治後期になってからだ。明治29年(1896)に旧民法が成立し、戸主と戸籍を同じくし戸主の統率する家を構成する親族およびその配偶者を法律上「家族」と称すると国が定めた。それ以降だ。いま当たり前と思っている「家族」のイメージがいつから「当たり前」だったのか。本当にそれは当たり前なのか。英語のfamilyだって語源をたどると「召使い・奴隷」に行き着いてぎょっとする。統治者も国家も宗教も、大きな力はさまざまな形の暴力や搾取を、都合の良いように耳触りのいいように巧妙に塗り替えていくけれど、歴史に底流する弱さや痛みに触れる手がかりは探せばある。言葉はそのひとつだ。
それに代わって社会の構成単位になってほしいと好ましく思うのは、もっとassociation的なものだ。ここでいうassociationは、結社や組合、関係性、つながり、群叢など、共通の目的のために相互に関係づけられた仲間というくらいのニュアンスで、江戸時代の日本にあった流動的なネットワーク組織である「講」や「結」や「連」に近いかもしれない。community(共同体)でもいいけれど、どこか定住的な匂いがして、しっくり感がちょっと下がるし、利や地や場や便だけでなく志でつながっているといいと思うから。
そう感じつつ、考えつつ、でも私自身の「家族」は夫と自分と犬1頭とこれ以上ないミニマムサイズで、普通に個別住宅に住んでいる。制度にも性別にも統治にも経済にもすっかり従順に従っている。毎日毎日そこをえぐるわけではないけれど、小さなズレ感は少しずつ沈殿して体内に溜まっているのだと思う。
ライター業を生業の軸としながら、京都でまちづくりに関わったり、イシス編集学校でロールをもったり、それらも些少ながら収入源にしていたり、山科の古民家・春秋山荘や森村泰昌さんのプロジェクトに加担しているのも、おそらく単一の小さなシステムだけに固定されてあるのは危ういという本能的なエクソダスだったのだろう。それは社会的な意味でも、個的な意味でも、経済的な意味でも。「どうしてそんなに手広くやってるの?」と訊かれるたびに応えてきた「飽き性なんで」という理由もそんなに嘘ではないけれど。
Ciftの話を初めてちゃんと聞いて、もっとも惹かれたのは、世界観。「平和活動」「主体的全体」という目的。次に、その実現のための方法だった。「拡張家族」という言葉と社会実験でつくろうとしているのは、新しい概念ではなくて新しい神話なんだと腑に落ちて、つまりここでいう家族観は神話観の言い換えでもあるんだと気づいて、とてもワクワクしたし、ホッとできたし、Ciftに関して見聞きしてきたいろんな話や場面や言葉が一気につながった。
国民国家(nation state)も資本主義もじきに崩壊するという予感はこの10年で確信に変わったけれど、ポストモダンが終わった先にある世界を、初めて、本当に初めて、希望をもって見られた。世界が、未来が、こんなふうに明るいものとして私の前に立ち現れたのは初めてだ。そんな世界があるのなら見てみたい。いきたい。一緒に生きる仲間になりたい。
背中をどつかれたように深くそう思って、Ciftに入った。死んでいくとしても、それは生きていくことでもあるから。
福田 容子