ただいてくれる存在、について


『家族ってなんだろう?』

小さいころから当たり前とされがちな価値観に疑問を持ちやすかった私は、そんなことをよく考えていた。「なんで先生の言うことは守らなきゃいけないの?お父さんはよく間違っているよね?」そんなことを小学校教諭である父に投げかける子であった。

恵まれている家庭に育った。アウトドア好きな親に連れて行ってもらったいろいろな場所の記憶は今でも自然の中に身を置くと感じる安心感につながっているだろうし、世界を自由に探求していく好奇心はこの環境によって育まれていたように思う。
ただ幼き日はよく父親の価値観に抗い、家出をし、近くに住む幼馴染の家にお世話になりながら、ここも家族だなあなどと考えていた。
この家族の存在が少し道を外れつつあった私を社会に引き留めてくれていた存在だったようにも思う。

そして今、同世代が家庭を持ち始める年齢になっても、同じ問いは常に思考を迫ってくる。
契約書1枚で変わるものは果たして何か、パートナーシップと結婚のちがいとは、しあわせな家族のかたちなど、”正解がないのが問いである”とはよく言ったもので、延々と思考は流れ続ける。

『暮らしについて』

コロナによって一人きりで生活することが苦しくなった2020年、実家での数ヶ月の暮らしを経て、自分は誰かと暮らしていないと心が持たないかもしれないと感じた。
もともと大学時代は近くに住む部活の仲間たちと毎日のように家を行き来していたし、社会人になってからは同じフロアに同期しかいない寮で暮らしていたから、ひとりで暮らす、ということがインストールされていなかったのかもしれない。
その年の終わりから対話と持ち寄ることを大切にするシェアハウスに入り、少しずつ心が戻っていくことを感じた。

今年のはじめ、家族のひとりが急逝した。正確には、上述した家出先の母親である。
その人は血縁関係のない”ママ”であって(本当にママ・パパと呼んでいた)、”幼馴染のお母さん”よりも、幼なじみ姉妹を”ママ・パパの娘たち”と呼ぶ感覚のほうがしっくりくる。
生まれる前から自分の誕生を待ってくれていて、成長を見守り愛を与え続けてくれた、そんな存在であった。
その時の感情を書き記した手記を少し抜粋させてほしい。


その人は、いつも、ただそこにいてくれた。
誕生日や入学、卒業といったお祝いの際には、「つかずはなれずで見守っているからね」というメッセージをいつもくれた。

家出してその人が待つ家に行くこともあったし、誰にも話したくないこともその人にならいえる存在だった。
顔を見せるだけでオーバーすぎるくらいに喜んでくれたし、何か話すとそうなんだね、て優しく頷いて、いつも食べきれないくらいのご飯を作ってくれた。

社会人になってから、ほとんど帰ることはなくなったけれど、あの人がいる、て存在感は私に帰る場所を常にもたらせてくれていた。
帰る場所がひとつじゃない安心感とか、ただそこにいてくれる人の大切さとか、こんなに私が言うのは、なによりも私自身があの人の存在で生かされてきたからだった。

その人たちが生きて、はたらいてるまちだからわたしはこの仕事をはじめたのかもしれないし、もらった愛はどこに贈ればいいんだろうって考え続けられているのかもしれない。

ただ、いてくれること。
わたしにとってそれは、日々をあとちょっと頑張ろうって思える原動力になりえるし、すこし無謀な一歩を踏み出す背中を押してくれる。

そんなものをくれたあの人はもういない。
たぶん、すごいかなしい。
たぶん、というのは今はまだテキストでしか突きつけられていない現実だから。物質的な死に向き合ったときどうなるのかは正直わからない。

心の中で生き続けてる、とか使い古されたフレーズは抵抗があるし、死んだものは死んだ。それは変わらない。そして思い出も色褪せるし、生きたことばと会うことは二度とはない。

やっぱりわたしは誰かの中にい続けられる存在でありたいんだ。そこに距離は関係ない。
そしてそのひとは言う気がするんだ。

「あなたがいちばん、これだ、と思うことをすればいいよ。誰に言われても自分で決められるのがあなたのすてきなところなのだから」

ciftでの暮らしやかかわりが、”ただそこにいること”が、誰かにとってのなにかにすこしでもなればいいなと思う。それが私にとっての存在意義であり、家族のかたちかもしれないから。
そんな暮らしをこの場で育んでいきたい。