家族ってなんなん


2019年2月15日(金)、この寄稿文を書き始めようとしていた、まさにその時、宇多田ヒカルの「歌姫ってなんなん」というツイートがスマホに飛び込んできた。

その後、この「◯◯ってなんなん?」が妙な広がりを見せて、霊長類最強と呼ばれていたあるスポーツ選手は「霊長類最強ってなんなん」とツイート。イクメンで知られるある芸能人は「イクメンってなんなん」とツイート。各々がメディアによって付けられた自身の肩書へのプチ違和感?を示す一方で、何となく知っていたその言葉自体がそもそも何なのか、改めて見つめ直す契機になってきている(気がする…)。

僕たちの身の周りには、理解しているようで実は全然わからない言葉が溢れている。

というか、最近になって、当たり前と思っていた言葉たちがの意味が、次々に「なんなん?」って具合になってしまった。働き方、体罰、セクハラなど、これまで当たり前に思えてしまっていたり、許されてしまっていたことが是正され始めたことで、知った気でいた言葉の意味も、今揺らぎ始めている。


以前、仕事にて「セックスとは何か?(概念というよりは行為そのものの話ね)」という質問を何十人にも渡ってインタビューする機会があって、そこで分かってきたのは大体の人が確信なく「このやり方で正解だ…、と思う」的な“なんとなく”で行為を行なっていたこと。まぁ僕もその1人だし、「セックスってこうやるものです!」なんて結局誰も教えてくれなかったしね。アダルトビデオやネット上の情報で、“なんとなく”知った気でいたんだなぁとその時に気付かされました。

「セックスってなんなん」

仮想通貨について調べていた時も同じような感覚を味わいました。お金って持ってる量は人それぞれだけど、まあ大体の人にとっては身近だと思うし、“価値があるモノ”とされている。その価値の裏付けとは何か?ただ何となく、千円札を持っているだけで千円の価値があるものと交換出来ると思っていて、その意味はいったい何なのか、改めて気付かされるきっかけとなりました。

「お金ってなんなん」

そして、僕が何よりも強く思うのは「家族ってなんなん」

去年の暮れ、来年度の与党税制改正体綱で議論されていた1つが「未婚のひとり親」への寡婦控除適用。この適用は結果見送られたのだが、その時に自民党が主張していたのが「伝統的な家族観が崩れる」という内容。伝統的家族観って何なんだろうか。今、そんな伝統的家族観に苦しめられている人って意外とくたくさんいるのではないだろうか?もちろん、男女で結ばれて子供を授かるという血縁による家族のかたちに関して、それが望むかたちなのであれば素晴らしいことだと思う。だが、そうでない人もいるし、それを望まない人もいる。

家族観って国が押し付けるものなのだろうか? 結婚しなくちゃ、子供を作らなくちゃ、そんな焦りを口にする人たちは、本当に結婚相手や子供が必要なのか?社会に乗り遅れないため、ただその行為自体がゴールとなってしまっているのではないか、と。

もっと自然に、社会が押し付ける家族観じゃない、自分が一緒に暮らしたい、生きたいと思える家族が欲しい。その結果、Ciftにたどり着きました。

恋人はできたことがない、自分を育ててくれた両親や家庭環境に特別な不満があるわけでもない、そんな僕が「家族ってなんなん」の答えを、自分なりに模索し、何らかのかたちで発信していきたいと考えています。

土生田 晃