だから私は、所有することをやめたのだ。


去年夏くらいから、「所持をする」ことをやめた。

人、もの、感情。

自分が「かけがえのないと思っているもの」は、
本当にかけがえのないものなのか?
自分がそう思っているだけでなのでは?

3年前に離婚を経験し、その後の人間関係を含め、家族や恋愛について考えることが多くなった。

なぜ人は所持をしたくなるのだろう?

ステータス、財産、人間関係。

家族が大事。恋人が大事。私の大切な子供たち。愛している。

この強い感情は、個人がそのピアに対して持つ強い押しつけに過ぎないのでは。

「私はあなたではない。」

だから、所有することをやめたのだ。

慣習の家族構築においては、基本的に男女が体の関係を持ち、また強い恋愛感情のもと、一生涯を共にすると誓い婚姻関係を結び、子供をもうけ、家族というクラスターをつくる。

この家族のあり方では、お互いがお互いを所有しあう傾向にある。

法のもと取得した自分のものだから。自分の血を分けた分身だから。

だから、衝突することもあり、果てに離婚、一家離散になることもある。

愛情が深ければ深いほど、何か自分が否定されたときには、振り子のようにネガティブな感情が生まれてくる。世界で一番小さい平和の集合体でなければいけない家族が、世界で一番小さい紛争地域に指定される。

愛のもと作り上げた家族システムは脆いのでは?

もし、愛から始まらない家族構築が可能であれば、繋がりの強い平和の集合体が誕生する。ciftで行う拡張家族は、その実証実験を行う場所であると考える。

愛が基盤にあるわけではなく、絶対的信頼が基盤にある家族の構築によって、小さな平和活動を行い、その輪が広がっていけば大きなムーブメントになる。

3年前から東新宿の「みせるま」という実験的コミュニティスペースを主催しているが、ここは運営していく上で副産物として生まれた家族的空間がある。誰かの誕生日は自然に祝い、美味しいものはみんなでシェアする。

ここでは人種、年齢、宗教、ジェンダー関係なく、6畳間に集い、小さな空間から大きな平和活動を行うことを目的にしている。

所有したくない私は、愛を基盤とする家族を作りは今の所予定していない。

みせるまは、場が最初にあり、次に家族ができた。ciftは家族があり、次に場がある。この2つがシナジーしあって、どう私の人生に作用するか。

これが私がciftに入る理由。

大山 貴子