Ciftで模索する新しい弁護士像


14歳で弁護士になることを決意し、26歳で弁護士になった。

高校卒業までは三重県松阪市で生活し、隣人や同じ町内の人たちが協力し合う社会だった。
大学時代は宮城県仙台市内で生活し、隣人を知らないアパート暮らしだった。
大学院時代は東京で弟と生活し、最小単位のコミュニティ暮らしだった。
司法修習は沖縄県那覇市で飲めばみんな仲間という社会で暮らした。
社会人になり、横浜市、渋谷区で生活し、再び隣人を知らない暮らし。

そんなとき、藤代健介と出会った。
初見ではお互い良い印象ではなかったと思う。それでも彼の考える将来のビジョンを理解したいと思うようになった。
でも、何度聞いても理解はできなかった。
ただなんとなく、渋谷に村を作る、共に暮らし、共に働く、みんな家族になる。

じゃあ、体感してこれから理解していく、体に沁み込ませていこう。
そう思って、Ciftに入りたいと思った。

弁護士としての生活は、これまで諸先輩方が築き上げたノウハウに自分らしさのアレンジを少し加えただけのもので、代わり映えもしなければ、私でなければならない理由もないように感じる日々だった。
渋谷で独立したものの、新しい弁護士としてのやり方は?新しい弁護士像は?と自問自答を繰り返す毎日に、焦りながらも、自分が変われるきっかけを探していた。

そこで、Ciftに出会い、どこか懐かしい暮らしぶりながら、新しい試みだと感じ、それを体現したいと思った。

Ciftでの生活は、新しいことの連続で、弁護士としても私個人としても、考えたことがないようなことが起こる。その中で、新たな弁護士像を模索する毎日。

まずは、三重県と東京の二拠点生活から始めてみようと思う。

渋谷宮益坂法律事務所
代表パートナー弁護士 砂子 昌利(まなご まさとし)