「実家」を卒業するということ


わたしが成人したのは30歳だった、と思っている。

フットワークや人生の展開が早いとよく言われるけど、なかなか腰が重くなりがちな分野もあって、そっちは人より10年くらい歩みが遅い気がする。

18歳で大分県佐伯市から、高校の卒業式の後すぐ3月18日に上京した(なぜならその日に武道館でHYDEのLIVEがあったから)。

そして4月2日の入学式まで、ひまでひまで、ネットでやりとりしてたラル友(=ラルク友達)の女性の家に入り浸ったり、大学入学前に企業のインターンシップの説明会に行ってみたりした(周りはみんな大学4年生だった。早すぎて断られた)。

東京に住み始めてからも、ほぼ春夏秋冬、飛行機に乗って帰省していた。

実家には変わらず自室が残してあったし、東京が楽しくて田舎には目もくれない…とはならず、「東京は楽しいけど、実家は実家の良さがある」という生活をしていた。

なんなら毎シーズン、ダンボール箱6箱くらいを実家に送って衣替えをしていた。毎回着払いで。

経済的にも精神的にも、自立とは程遠い一人暮らし。

その頃は毎日、母に電話で話を聞いてもらったし、19歳になってもハタチになっても、まだまだ私は“娘時代”真っ只中だった。

大学を卒業して就職しても、しょっちゅう実家に帰ったし、社会人3年目からは2つ下の弟が上京したのをきっかけに、秋葉原できょうだい二人暮らしをして、親不在で破壊的に楽チンな暮らしをしていた。

秋葉原のニュースを速報するライターをしていた弟の仕事のお使いで、一本500円で売られるエロゲーを買いに行ったり(列に並んだらどうぞどうぞと優先?されて、すぐに会計が終わった)、ゲームの発売日前に徹夜で待機するヨドバシAkibaの行列を見ながら、家に帰ったりしていた。

暮らし始めてすぐに、この暮らしは楽チン過ぎて、姉弟二人暮らしが終わりなく続きそうで、家の更新はしないことに決めた。

宣言通り(?)2年後、私は弟との二人暮らしを解散させて、夫と同棲し始め、結婚した。

婚姻届を出した27歳の、夏の終わりだった。

ある夜、寝室で、隣に夫が寝ているなと見遣った直後、唐突に母とつながっていた何かが切れた感覚がして、私は号泣した。

それは、18歳で上京してから10年間、一度もなかった故郷や両親について、もう戻れない関係を恋しく思う気持ちだった。

今思えば、結婚したからといって、親との関係が変わるわけではない。けれど、新しい家族を築いた私は、気付いたら、母への連絡は週に何回かのLINEだけになっていた。

それでもまだまだ、最近実家を出た娘のような気分でいた。

2度の転職を経て独立するタイミングで、夫が2社目の起業をするというので夫婦で起業した(ちなみに夫はCift発起人の健介と1社目の会社を立ち上げた)。

仕事は面白くて、起業して半年後に妊娠がわかって、夫婦起業「生活」は、すぐに夫婦起業「子育て生活」になった。

子どもが生まれて半年後、「雇用関係によらない働き方と子育て研究会」発起人の1人となって、フリーランス・自営業者の女性に産前産後休暇のセーフティネットがないライフリスクについて署名キャンペーンを行い、厚生労働省に署名を提出。記者会見をした。

私は一児のママになり、ソーシャルアクティビストになった。

それからだろうか、少しずつ、母とは「母と娘」ではなく、「女と女」、「人と人」として話ができるようになった気がする。

息子が1歳になる頃にCiftに入って、数ヶ月。母が東京に遊びに来た。

結婚したと思ったら、仕事を辞めて、講演活動をして本を出して、夫婦で起業したら妊娠して、今度は渋谷のシェアハウスを借りる、ジェットコースターのような生活を送る娘の現在地を見に。

お土産を持ってきて、渋谷キャストアパートメントのリビングに出入りする人たちに、「平本沙織の母です」と頭を下げる母の姿(13階の住人ではない人にも)。

私の世界を、これまでもこうして見つめてきてくれたのだろうか。私もいつか、息子の世界に連れて行ってもらったとき、息子のために頭を下げるのだろうか。

生まれて初めて、愛する誰かのために行動したいと思えた。

たぶん、成人式で手話を交えてスピーチをしたあの子は、ハタチでわかっていたのだろう。社会の一員になるということ。自分がやれることと、やるべきことを。

私のこれまでの人生は、やりたいことしかなかった。少しずつやれることは増えてきたけど、やるべきことの欄は空白だった。

結婚してやっと、実家から卒業した。

子どもを産んで社会問題にぶちあたってやっと、成人した気がする。

そう、私は社会の一員になったのだ。

 

たぶん、卒業が苦手です。

まだまだ、小さな子どもが独り立ちをする日なんて想像もできない。

わからないけど、好きな道に進み、そのために好きな場所で好きなように暮らせばいいと思っている。

12月末にCift1312号室を解約して、半年。

6月末にやっと、渋谷キャストを卒業できた気がする。

Ciftに入って半年ほど経った頃、家族が一気に増えた、その実感がまだあるようでないような頃、「ああ、私はこの40人の葬式を出すのか」とふと思ったことがあった。

実感として迫っているかどうかの違いがあるだけで、いつか誰かを、いつでも誰かを、見送らなければならない瞬間が訪れることには変わりはない。

2016年の夏に私の息子が生まれて、2017年にあっこの子どもが、2018年に純真とみかえるの子どもが、そして今年ももうすぐ、Ciftに子どもが生まれてくる。

私のすぐそばに、愛しい命がやってくる。

子どもだけじゃない、愛しいあいつらもいつもそばにいる。

だから私は、やっとCiftの「実家」=渋谷キャストを卒業する。

元旦に「NHKスペシャル」にCiftが紹介された。その数日前に、友だち近居10年の「おひとりさま同居」を実践するミセス達が登場する番組が放送された。

この皆さんは、やがて一人ひとりを見送っていくのだろうか。

「おひとりさま同居」メンバーのひとり、川名さんが、10年間の近居で悩みながらも心の支えにしてきたという詩が、素晴らしかった。

色々書いたけど、私が伝えたかったのはこういうこと。

かかわらなければ
この愛しさを知るすべはなかった
この親しさは湧かなかった

(中略)

ああ
何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人

私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない


私はいつも爆弾落としてるかもしれないけど。

どんなあなたも、しっかりと受け止めているよ。

あなたは、私。うん。これからも、Cift。