コロナ禍において、個人的に一番良いと感じることは、今までよりも内省の時間をとることができたり、それに伴う本を読む時間をとることができることだと思っている。
その中でも、自分のあり方について、とても共感した本がある。池田晶子さんの「人生のほんとう」。
自分の人生と、哲学とが、この本を介してとてもつながったと感じています。
中でも一番しっくりしたのが、「自分さえ善ければいい」ということ。
※「自分さえ良ければいい」ではありません
もうすぐ終わる40代の10年を生きる中で、「ありのままに生きる」とか「自分らしく生きる」ということについて、自分なりに感覚をつかみつつあるなと感じてはいるのですが、その一方で、「これってわがままにならないか?」「みんながこんな生き方をすると分断が起きないか?」という疑問というか、そんなモヤモヤを感じていました。
が、「『自分さえ善ければいい』というあり方で生きる」という言葉に触れたとき、すべてがクリアになった気分。そうだよね、周囲がどうであろうとも、自分が今できる、善い生き方をすればいいんだよね、と。
加えて、「自分さえ善ければいい」は、イコール、「目の前の人や社会と、家族という意識でつながる」ということと同義だよな、と。
そんな生き方を続けることができたら、きっとCiftが目指している世界平和に近づいていくだろう。
アフガニスタンで銃弾に倒れた中村哲さんは、「一隅を照らす」という言葉を大切にされてきた。
https://specials.nishinippon.co.jp/tetsu_nakamura/
この言葉は、もともと、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった最澄の言葉らしい。最澄は中国で仏教を学ぶ中で、中国古典の故事に出てくる「一隅を守り千里を照らす」つまり、「大義をなす(千里を照らす)ためには、今自分がいるところ(一隅)でベストを尽くす(守る)」ということでしょうか。
※諸説あります
Ciftが目指している世界平和が、残り50年の自分の人生で実現できるかどうかは分からないけれども、すくなくともその方向に向いて進んでいるという実感を感じながら、「自分さえ善ければいい」「一隅を照らす」ということを自分のあり方の行動規範・プリンシプルにして、今自分ができることをやり続けよう。