今朝、保育園にタクシーで行った。愛が赤字です。


信頼経済で、価値がマイナスになった時の補填の仕方

今朝、保育園にタクシーで行った。寝坊したのだ。

渋谷キャストを出て明治通りで、15分間隔のバスがもしかしたらきやしないかと渋谷駅方面に目を凝らしてみる。横断歩道の手前で、息子が転んだ。危うく、その手を踏みそうになった。(たぶんちょっと踏んでしまって、体重がかかる前にうっ、やわらかい。。と思って慌てて足をどけた)。

うーーーーーーーー

と、泣きそうになる息子。心は半泣きのわたしは、泣きそうな息子を抱え上げて横断歩道に走り込む。

渡った先のバス停には、人がない。きっと数分前、エレベーターを降りている時か、その2分前の靴を履かせている間にでも、ちゃんと間に合った人たちを乗せたバスは走り去って行ったのだ。間に合っていない私たち親子を、ちゃんと間に合っていないわたしをおいて。

横断歩道を渡り終えてすぐに、タクシーを拾う。間に合っていないわたしはお金を使って保育園に向かう。1130円。

保育園に送るだけで1130円使っていたら、今日一日私はいくら稼げばいいのか。そんな、真面目に考えているようで意味のない何十回目かの虚しい計算が頭の中で勘定される。

保育園に預けられるだけの勤労と納税の実績がありますと言って、それが認められて保育園に入ることができた。だから、私は働かなければならない。いや、働きたいから、保育園に預ける必要があるのだけど、いつもはそう思うのに、こんなうまくいかない時に、こんなにしてまで保育園に行かなければいかないのかとちゃんと間に合っていない自分を呪う。そうじゃない、無条件に子どもを預かってくれない社会のせいだと巨大な敵に向かって呪いの呪文を吐いたところで少しだけ清々する。

お金を使って間に合った私たち親子は、新宿駅の手前で降りて通勤に忙しい人の中を逆流して保育園に向かう。朝のラッシュに流されてみんなと同じどこかへ向かうことを嫌っている癖に、世の中に逆流して保育園に向かって歩く300mは、私のウィニングロードにはならない。今朝も保育園にちゃんと間に合って連れて来ました!と、胸を張ってウィニングランができない私は、どうかこの後の仕事の予定にはちゃんと間に合って、と願いながらもトテトテ歩く息子のスピードでしか歩けない。

保育園に着いたら朝の会が始まるところで、息子はなんとか朝のおやつに滑り込みで間に合った。

息子は、ちゃんと間に合った。

2017年4月に入園。誕生日を迎えて夏に入り、朝にミルクではなくおやつを食べるようになったその頃、私はまだCiftではなく代々木上原の自宅から小田急線で新宿の保育園まで登園していた。

激戦区の渋谷区で、第1子(兄弟加点なし)で入れるなんてすごい。恵まれてる。恵まれてる私は、息子を第5希望の保育園に入れた。第4希望までは代々木上原といって差し支えのない徒歩圏内で、第5希望の保育園は、電動自転車で20分かけていくのが良いか、駅まで徒歩3分で電車に乗って駅直結で預けるのがいいか、比べた末の第5希望だった。

登園の帰りは、バスに乗った。そのまま出勤できるような格好ではないから、一度渋谷まで戻る。今日のアポイントは13時だから、戻ったら朝ごはんを食べて支度をして、少し作業時間をとったら客先に移動しよう。ちゃんと電車に乗って行こう。

バス停には3人の先客がいたから、今度は間に合った。

ちゃんと次のバスは来るはずなのに、時間を調べもせずにその一つ前のちょうど良いバスに乗りたいと願う。そこでやっと時刻表を見ると、3分前にバスは行ったばかりで、次のバスは10分後。今度は十分、間に合った。

バス停の枠の前に、乗用車が停まった。バスが来たら邪魔になるその場所に、まだバスが来ないことを知っているかのように止まったその黒いハッチバックに、先客の3人が乗って行った。彼女たちは、バスを待っていたのではなく、車の迎えを待っていた。ただ、バス停を目印にして。

子供のように、なんだかずるい、と思う。私はバスを待っていたのに、車で迎えに来る人がいるなんて。目の前を走るたくさんの車は、5分ほどで渋谷に着くはずで、その隣の席は空いているのに。誰も私を乗せてくれない。

乗れないバスは、自分が思い描く理想の人生。実際はいつだって、一本遅れのバスに乗って少しずつ遅れながら目的地に向かう。

でも、たまにはわたしにも迎えの車が来てくれるし、タクシーに乗ることだってできる。

ただ、このバスに乗ったんだ、今日はそういう日だったんだと思うだけでも、わたしはちゃんと間に合ったことになる。そう思えない日には、乗れないバスだけでなく、バスに乗ることすら大変な日があったこと、バスに乗りたくなかったこと、バスがあることを知らなかった日々を思う。

あの時、わたしはバス停でもなんでもない、交通量の多い都会の真ん中で誰かを止めようと必死でヒッチハイクしていた。そこに、はとバスのように現れたCift。

はとバスのCiftはいろんなところに連れて行ってくれて、いくつもの瞳を通した人生を車窓から見せてくれる。一台から少しずつ台数が増えてきて、次はあそこに行こうとプランを練ることもできるようになってきた。

はとバスのCiftが通った道が、定期路線になればいい。このルートが良さそうだよ、と、他にも乗合バスが生まれればいい。そうして、一台だけの特別なはとバスじゃなく、路線バスの誰もが間に合う(と思えるだけ便数が豊富な)定期就航の子育て支援プランが産まれないだろうか。

そんなことを考えながら、渋谷キャスト横のパン屋で朝ごはんを買って、リビングに来た。10:15。これから朝ごはんを食べて、支度をして、午後の打ち合わせに行こう。

そして、夕方にはちゃんとバスに乗って、息子を迎えに行こう。遅れることもあるけれど、時刻表を見て、時間に合わせて行ってみよう。そうやって少しずつ、わたしは自分の時間を社会に合わせることを思い出す。