「ときどき京都、いきなり家族」


正体をひとつに決めない

違う違う、そうじゃないのよ。それを言っちゃおしまいよ。

人生でやりたいと思うこと、なりたい姿に、知っている言葉で名前をつけるとどうもしっくりこないなぁ、という感じがここ最近していました。

ああ、こういう感じがいいなぁ、これやりたいなとイメージがむくむく湧いた時に「それって仕事でいうとこういうこと?」なんて名付けてしまうと、途端に何かがムニュッとはみ出し、すかっと掴みそこねる感じです。台無し。

ならばそういう欲の点々は、そのまま日向ぼっこさせておけばよろしい。名前のない状態にしておきましょうと放っていた頃に、ふとお茶飲み話のように知ったのがciftでした。まだ世の中で評価軸の定まっていないことをやっているんだなあと受けとって、キュンとしました。

はじめましての人と、家族になるの? 京都で?

場所は大好きな下鴨神社の近くで、愛する奈良や、ゆくゆく根を下ろしていくつもりの滋賀にも近くなる。

出会いは突然でしたが、正体をひとつに決めないでいる今の私には、この「ときどき京都、いきなり家族」暮らしが妙にしっくりきました。

よくわからなくて、とっても面白そうじゃないか。

それが「なぜciftに?」の理由です。

尾島 可奈子